僕の住んでいる町は、過疎化が進む地方のサイドコーナーで、車の往来はあるけれども、そのうちの9割は通過してゆくような農村部である。
そんな町に住んでいても、ひたひたとコロナウィルスの足音が聞こえてきている。
ニュースはまた、感染者数や注意喚起や、これからの動向を論じているけれど、どうも腑に落ちない。
それは、コロナウィルス感染の第6波についてである。
僕の記憶が間違いならば、これから述べる理論は破綻してしまうけれど、もし、昨年の年末にコロナウィルス感染ついて、「コロナウィルス感染の第6波は、くる可能性が高い。」と、言う論調で語られていたとしたら、そこには、「来ないかもしれない」という楽観的な予測も含まれていたのではないかと思う。
ウィルスが進化し続けていることは周知されているのだから、「可能性が高い」ではなく、「第6波に備えて、体制を整えておく。」と、語っておくことが必要だったのではないかと思う。
もし、そう語れない理由があったのだとしたら、そうすることにより大きな損失が出て困る人の機嫌が悪くなると都合が悪いという人がいるからではないかと思う。
そんな町に住んでいても、ひたひたとコロナウィルスの足音が聞こえてきている。
ニュースはまた、感染者数や注意喚起や、これからの動向を論じているけれど、どうも腑に落ちない。
それは、コロナウィルス感染の第6波についてである。
僕の記憶が間違いならば、これから述べる理論は破綻してしまうけれど、もし、昨年の年末にコロナウィルス感染ついて、「コロナウィルス感染の第6波は、くる可能性が高い。」と、言う論調で語られていたとしたら、そこには、「来ないかもしれない」という楽観的な予測も含まれていたのではないかと思う。
ウィルスが進化し続けていることは周知されているのだから、「可能性が高い」ではなく、「第6波に備えて、体制を整えておく。」と、語っておくことが必要だったのではないかと思う。
もし、そう語れない理由があったのだとしたら、そうすることにより大きな損失が出て困る人の機嫌が悪くなると都合が悪いという人がいるからではないかと思う。