硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

放火というテロ。逆流し始めた人。

2019-07-18 22:17:17 | 日記
京都アニメーションが放火されて、多数の死者が出たと報じられていた。

安定した社会、個人主義な社会、比較的自由が認められている社会、格差はあるけれど豊かな社会が担保されている現代にあって、何故、個人的で、自身で膨張させた感情をもって、無差別テロを行うのだろうか。

被疑者の彼から、アニメの好きな人達が何を奪ったというのだろう。
殺戮しなければ許されないほどの個人的に大切なものはなんだったのだろう。
多くの人の楽しみや、明日への希望を奪うほど、それは大切なものだったのだろうか。
絵を描く楽しみを奪う権利が彼にはあったとでもいうのだろうか。
私が正しいのだと思うのなら、なぜ、犯行声明を出さないのであろうか。
そして、膨張した不満は、人を殺すことで解消されると思ったのだろうか。

ストレスフルな社会であることは分かる。それでも、それが許されるとでも思っていたのだろうか。

大人が不在の社会になりつつあるのだろうか。それとも、時代が逆行し始めているのだろうか。

アニメを作る現場がテロの目標になる世の中って、辻斬りが横行した江戸時代と変わらないのではないかと思う。