ご飯を食べながら朝の情報番組を観ていたら、ヱヴァンゲリヲンの新作映画の予告映像が、世界の各地で、10分間ほど流されたと報じられていて、心がざわついた。
再放送位で、観始めた「新世紀ヱヴァンゲリヲン」は、物語に緩急があり、ポップでミステリアスで、セクシャルでマニアックで、誰かの一番触れられたくない部分を刺激し、好きな人はストーリーを深読みするような構造になっていて、庵野監督の言われているように、「狭いユーザー」に向けて作られたものであったが、不思議と時代にマッチしてしまい社会現象にまで発展した。
テレビシリーズの最終話も、不思議であったけれど、劇場版では、ユーザーの気持ちを断ち切るような完結にしたのも、すごく納得をしていた。
なのに、まだやるのかと思った。
確かに、待ち望んでいるユーザーは今では世界であるから、物語がしっかりしていたらそれなりの収益は出るのではないかと思う。しかし、あの息の詰まるような閉塞感の有る世界観にはまり込んでしまう人は世紀末待望論者であろうと考えられ、そんな人たちを増やしてどうするのだろうとも思った。
映像がどんなものであるのか、気になったので、その夜、YouTubeで検索すると、いくつかアップされていたので観てみた。
あの世界観が、そのままの姿で蘇ってきたのは確かであったが、20数年という月日は作品を俯瞰してみることを可能にした。
あの10分ほどの映像には、リドリー・スコット監督やjjエイブラムス監督や、リュック・ベッソン監督の「美味しいところ」が詰め込まれているのではないかと思い、それは、「ヱヴァンゲリヲン」はエンターテイメントな映画である事を意味し、それ以上でも以下でもないという事なのだと思った。
そして、深読みすると、庵野監督は恐らく、理屈抜きにシンプルに自分が面白いと思うものを作ったのではないかと思うのだけれど、僕はもう観ないと思う。
再放送位で、観始めた「新世紀ヱヴァンゲリヲン」は、物語に緩急があり、ポップでミステリアスで、セクシャルでマニアックで、誰かの一番触れられたくない部分を刺激し、好きな人はストーリーを深読みするような構造になっていて、庵野監督の言われているように、「狭いユーザー」に向けて作られたものであったが、不思議と時代にマッチしてしまい社会現象にまで発展した。
テレビシリーズの最終話も、不思議であったけれど、劇場版では、ユーザーの気持ちを断ち切るような完結にしたのも、すごく納得をしていた。
なのに、まだやるのかと思った。
確かに、待ち望んでいるユーザーは今では世界であるから、物語がしっかりしていたらそれなりの収益は出るのではないかと思う。しかし、あの息の詰まるような閉塞感の有る世界観にはまり込んでしまう人は世紀末待望論者であろうと考えられ、そんな人たちを増やしてどうするのだろうとも思った。
映像がどんなものであるのか、気になったので、その夜、YouTubeで検索すると、いくつかアップされていたので観てみた。
あの世界観が、そのままの姿で蘇ってきたのは確かであったが、20数年という月日は作品を俯瞰してみることを可能にした。
あの10分ほどの映像には、リドリー・スコット監督やjjエイブラムス監督や、リュック・ベッソン監督の「美味しいところ」が詰め込まれているのではないかと思い、それは、「ヱヴァンゲリヲン」はエンターテイメントな映画である事を意味し、それ以上でも以下でもないという事なのだと思った。
そして、深読みすると、庵野監督は恐らく、理屈抜きにシンプルに自分が面白いと思うものを作ったのではないかと思うのだけれど、僕はもう観ないと思う。