硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

島本理生さん。「ファースト・ラヴ」

2018-08-04 20:30:33 | 日記
少し前から気になっていた本が書店に並んだ。ずいぶん前にも同じことを書いたと思うけれど、直木賞や芥川賞を受賞した本にはあまり興味が湧かないのですが、たまたま聞いていたラジオ番組で紹介されていて、頭の中にこびりついたのが島本理生さんの「ファーストラブ」でした。
ラジオ番組の内容は忘れてしまったけれど、その時、何故か「読まなければ」と強く思いました。

そして、しばらくして直木賞を受賞。その日の帰り、書店を何件か回ったけれどどこも置いていなくて、店員さんに尋ねると「在庫がない」とのこと。
書店に並ぶのをじっと待ち、何日か通ってようやく購入。休みの日の楽しみに取っておいて、半日かけてじっくり読んだ。

学がない僕が、島本理生さんの作家としての力量を推し量ることなどできはしないけれど、読み終わってからも、ずっと、あの世界観を引きずってしまっているので、気持ちを整理し消化するべく思ったことを述べておこうと思いました。

作品の世界から離脱できないのは、自傷行為をする人や、歪な関係をもつ母と娘というケースも、職業柄出会ったことがあるので、よりリアルに感じることが出来たから、実際に同じような体験をして苦しんでいる人がいるというメッセージが強く伝わってきたからなのかなと思いました。

しかし、物語の中心を引っ張ってゆく女性は、抑圧された環境を、他者の手助けにより、辛うじて上昇して見せたけれども、不誠実な男性という存在が悪なのか、はたまた、誠実ではない男性に依存する事でしか自身の存在を見出すことが出来ない女性の弱さがいけないのかという問題提起には落としどころが見当たりませんでした。
でも、実際、見つける事が出来ない事の方が多いので、もやもやした感じを意図的に残しているのかもしれません。

そして、僕がこの本を通して最も印象に残った言葉は、主人公が自身の母親の母親像ついて、
「若かりし頃のこの女性は、時代か、教育家、個人的な資質か、もう現代では機能していない、たくさんの過ぎ去っていったものたち。」
と、考察していた箇所です。
この件を読んで、本当に驚きを隠せなかった。しかし、主人公とその夫の関係を考えてみたら、この言葉は、きっと書き手の、世に向けた宣言だったのかもしれないと思いました。
それは、フェミニズムやジェンダーフリーという言葉で括るもの少し違うのかなとも感じました。

しかしながら、もし、この推察が的を射ているとするならば、今まで機能していたものが、過去の価値観によって支えられていたとするなら、機能しなくなったものの代わりに、誰がどのように支えてゆくのかという問いに、作家として、文学を通して答えていかなければならないのではないかとも思いました。

どうしてそのように思うかというと、文学というものの定義はよくわからないものだけれど、夏目漱石先生は、「牛は超然として押してゆくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません」とおっしゃっているからです。

なんだか、上から目線になってしまいましたね。ごめんなさい。