ストーカーによる殺人事件の公判で被告の青年が、殺害された夫の妻も共犯であると主張した事について考えさせられてしまった。
彼の主張により、「どこに真実があるのか」がよく分からなくなったからであり、もし判決通り「意思が通い合っていなかった。」としても、後味の悪い結果になるのではと思ったのです。
どうして彼は「そのような主張」をしたのであろう。罪の軽減が狙いであったとしても、無実である人を有罪に貶める事になる。
それがどんな益になるというのだろうか。
人を不幸にする嘘は念を残すのではないだろうか。人を不幸にする嘘はこれからの人生の善い材料となりうるだろうか。
そして、なによりも理不尽な暴力により命を奪われた人が不憫でならないなのではないかと思うのです。
犯してしまった罪に対して心が痛まない人の気持ちは僕には理解しがたい・・・。
彼の主張により、「どこに真実があるのか」がよく分からなくなったからであり、もし判決通り「意思が通い合っていなかった。」としても、後味の悪い結果になるのではと思ったのです。
どうして彼は「そのような主張」をしたのであろう。罪の軽減が狙いであったとしても、無実である人を有罪に貶める事になる。
それがどんな益になるというのだろうか。
人を不幸にする嘘は念を残すのではないだろうか。人を不幸にする嘘はこれからの人生の善い材料となりうるだろうか。
そして、なによりも理不尽な暴力により命を奪われた人が不憫でならないなのではないかと思うのです。
犯してしまった罪に対して心が痛まない人の気持ちは僕には理解しがたい・・・。