硝子戸の外へ。

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体罰は是か非か。 その5

2013-01-23 20:59:08 | 日記
自殺してしまった少年が、生前、顧問に自身の気持ちを訴えようと手紙を書いたという記事を読んだ。

しかし、他の部員からの忠告を受け、手紙を渡さなかったという。

仲間であったはずの人達から、「それはまずいんじゃない」と言われたのだとしたら、その時の彼の孤独感はどれほどのものであったのだろう。想像すると胸が痛む。

仲間はきっとこの手紙が顧問にわたったら、自分たちにも被害が及ぶであろうと心のどこかで思ったのではないだろうか。

もし、仲間が「仲間」であったのなら、キャプテンが受けている理不尽を改善するように、彼に協力したはずである。それが「仲間」であり「チーム」なのだから。

彼が不当な体罰に耐え、部活をやりきったとしても、このチームはいい結果を残せなかったであろうことは想像できる。

勝とうという気持ちは、仲間との繋がりがあってこそ初めて勝利につながる。パスを出すパスを受け取る。シンプルなプレーであるけれど、そのパスを次につなげてくれるであろう事を前提にパスを出すのだから、信頼が置けないものにたいして、パスを出せるわけがない。もし、信頼していれば、次につながらなくても頭で考える前に必死でフォローしようとするはずである。

それが本来のチームプレーであると思う。 個人技で勝利を持って行けるのは一握りの才能を持った持ち主によってもたらされるものである。そういう人材が部員にいたのならば、体罰なんてなくても全国大会へ行けるはずである。

勝利を目指しともに頑張っていた仲間が仲間でないと分かった時の絶望感、無力感が追いつめれれていた彼の精神を取り返しのつかない方へおいやったのだと思う。

もし、この妄想が真実に限りなく近いならば、なんと悲しい出来事であろうかと思う・・・。