硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

放火と殺意。

2013-01-18 19:26:53 | 日記
同業者としてとてもショッキングな事件だった。施設はホスピスで被害者は高齢でほぼ寝たきり。

加害者の女性は「人間関係のストレス」「動機は一言では言えない。」「殺意はなかった。」と、述べている。

なぜだろうか。とても違和感を感じる。

女性は21歳で介護福祉士である事から、専門学校を経て今の職に就いたと考える。とすると社会と関わりをもった最初の場所でもあっと思う。

そのように仮定して、まず考えるのは「人間関係のストレス」である。人間関係のストレスは、社会に出たならば誰もが通らなければならない。また、介護職は人を相手とする職業であるのだから最初からそのストレスと対峙してゆかなければならないという事は分かっていたはずである。彼女はそのあたりをどう考えていたのだろうかと考えるが、その問い方が間違いなのだと思う。

高校を卒業、もしくは専門学校を卒業する処までが彼女のリアルだったのだろうと考えるのである。
もし、彼女自身に「福祉職に就く」という明確な目標があったのならば今回のような事件には及ばないはずである。なぜなら、福祉職という職業をよく理解したうえでエントリーしたのだから。

それでも「人間関係のストレス」というものに押しつぶされそうになったとしても、福祉職を理解しているならば「退職する」という発想があったはずである。でも、退職せずに利用者の命を奪う行為に及んだという事は彼女には大切な処が欠落してたといえる。いや、最初からなかったのである。 とりあえず専門学校に行き、とりあえず施設に就職し、よく分からないまま働きだし、学生時代のように自身の思うように事が進まない事にいら立ちを募らせたのだと考える。

最初から目標が希薄な少女をエントリーさせた職場も、彼女が成長過程の最初の一歩である事を十分認識し、丁寧かつ適切に愛情を持って少女の歩幅に合わせて成長を促さなければならなかったが、きっと、職員一人一人が自身の事ばかりを優先して「わがままな少女」に対して配慮する気持ちの余裕がなかったのではないだろうかと考える。少女はまだまだ「甘えたかった」のである。そこをよく理解しないで雇用し、上手くなじめないからと言って突き放してしまったら、少女にとっては「ストレス」となるであろう。そんなストレスフルな職場においても、少女が仕事を辞めなかったのは「貨幣を得る手段」が他に知らなかったからであると考える。学生時代を自由奔放に過ごしてきた少女が辿る悲しい結果である。


終末期の施設であるから、死を前にして不安になられている利用者もいらっしゃるであろう。だから、時には職員にも辛く当るだろう。辛く当られれば腹も立つし、やり切れない思いになるだろう。「一言では言えない動機」とは上記の事と合せて出来上がってしまった感情ではないかと考えるのである。

そして、「殺意」である。

もし、殺意がなければ、自力で逃げる事の出来ない人の布団に火を放つ事などしない。単に放火という行為でストレスを発散させるならば、それこそ施設その物や自転車や自動車。通勤途中の公共施設や個人の家でもよかったのである。

でも、少女は火をつける道具を手にし、ピンポイントの場所に火を放った。それは誰でも、どこでもよいという事ではないという裏付けである。

そう考えると被害者に対し悪意が少女の中に宿った瞬間が必ずあるはずである。それが今までに蓄積された不満という装てんされた銃弾のトリガーを引いた原因であると考える。殺意は本人の無意識下で芽生えたのだと思う。

人生の終末を施設で終える社会。世の中がそれを希求している以上、それに応える社会的資源は必要とされる。しかし、社会保障制度という公金で賄われていて、しかも生産性がなく消費する事が主で利益の出ない事業に、政府が力を入れるはずがないのである。そんな構造だからこそ心が問われるのであるけれど、心を育てる気もない事業ならば、今回の事件は起こる事が必然であったように思うのです。

同じ介護福祉士として、少女と同じような悪魔がいつ心に宿るか僕自身にも分からない。でも、神と共に歩んでいるならば、常に神を忘れなければ、心強く過ごしてゆけるのではないかなと思ったりもするのです。