人生はコーヒールンバだな Ⅱ

2004年06月29日 | 小説:人生はコーヒールンバだな
東大阪の金型工場の社長である
横田正真 55歳
兵庫県氷上郡氷上町出身。

鎌倉時代からつづく由緒ある寺院「常樂寺」の長男として生まれる。
近くの福知山線を走る蒸気機関車の雄々しい様を見て、機械に強い興味を覚え、本堂の伽藍や梵鐘の輝きを通して「金属の美しさ」に目覚める。地元公立高校を優秀な成績で卒業し、名古屋にある国立大学で冶金工学を修める。
就職先は実家に近い方がよい、との判断で大阪にある大手機械メーカーに入り、主力商品である大型空調システムのコンプレッサー関連部品の開発製造に従事する。
社の世界展開の一環として2年間の米国留学金属系新素材と射出整形の最新技術を携えて帰朝。若くして、設計部のチーフデザイナーとなる。

しかし、管理職になり、後進を育てる立場になった彼はその席に居心地の悪さを感じていた。

そんな折、協力工場の東大阪の金型メーカー「多田野冶金工業」多田野社長に請われ、転職。アメリカ留学で学んだ技術と、培った人脈をもとに、シアトルにある大手航空機メーカーと取引を始める。彼の開発した技術とは、従来切削加工でしか実現できなかった部品を射出整形で制作することにあり、大幅なコストダウンと高品質を実現したものであった。特殊技術とニッチな市場で多田野冶金工業はバブルにも振り回されない堅実な経営を進めていた。
「ああ、これこそ私の天職だ」と業務にまい進していた矢先多田野社長が急死。後を彼が任されることになった。

正真は、焦っていた。世界的な景気後退で航空機産業も大きな伸びが期待できない。国内製造業は空洞化が進み、また、すべてのものづくりの基本要素である「金型」は新卒者も来ない日陰産業だ。彼は次の一手を模索し、海外展開を検討した。

自然と目線は中国に向く。
「そうだ、自分の祖父も行ったという中国で新たな事業展開にチャレンジしよう。」
(実は正真の祖父というのが、宋顕眠の父を救った僧侶なのであるが、今はそのことをだれも、知らない)

彼はアメリカ留学時に知り合い、今は上海で商社を営む友人に連絡をし流通・販売網に目処をつけいよいよ本格的に業務開始にこぎつけた。

彼は気づいた

「あっ、ホームページ中国語にしておかなきゃ」

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