人生はコーヒールンバだな Ⅰ

2004年06月29日 | 小説:人生はコーヒールンバだな
謎の中国人実業家(上海在住)である。
宋顕眠 48歳
広東省広州市出身

製麺会社を経営していた父の影響で幼い頃から「食を作る」ことに興味を覚える。現在中国有数の食品加工機械メーカの社主にして本社を上海に置くまでに成長。

【背景】
このたびのプロジェクトは日本からこんな仕事が舞い込んだことから始まる。

ここに、春田星平なる日本人がいる。彼の生家は北海道。鰊(ニシン)漁で財をなした旧家である。彼は旧家のボンボンのご多分に漏れず、大学卒業時に「おれは、東京に行ってマスコミに就職するんだ」と家族の反対を押し切って上京を果たす。時はバブルの最盛況、就職した雑誌社も飛ぶ鳥を落とす勢いで、給料も毎年うなぎ昇り。気がつけば日本で最高給取りの編集長になっていた。

しかし、高き山あれば、谷深しの習いの通り、バブル崩壊とともに雑誌業界全体がシュリンクに落ち入る。新雑誌、新メディアをいくつか立ち上げるも、あえなく会社は倒産。星平は広い東京に家族とともに取り残された気持ちになった。このまま、おめおめと北海道に戻るわけには行かない。戻るといっても、北海道にすでに両親も無く。鰊でにぎわったあの時代は夢のまた夢。

星平は来る日もくる日もこれからの自分の生き様を迷い、思う日が続いた。

ある日、そろそろ桜も咲こうかという3月の第3土曜日の朝4時32分。トイレで小便をした星平は、もう一度布団に入りウトウトとまどろんでいた時に、枕もとに「阿弥陀羅」が立った。

「星平よ。西に向かえ。そして、煎餅を焼け」

星平は聞く

「西とはいづこでございますでしょう?煎餅とは、どのような煎餅を・・・」

目を開けたときには、阿弥陀羅は消えうせ、朝日の眩しさの中で雀チュンチュンと鳴いていた。

星平は思い立つ。

「西とは中国だ。煎餅とは・・・・・・・煎餅だ。中国に行って煎餅を売ろう。中国も米文化だ。ただ、料理方法は基本的に油料理。煎餅は油を使わない米料理。味付けは醤油。油を 使わない醤油味の米料理。これはいける。絶対いけるに違いない。」

さすがに北海道開拓民の血筋を引く星平である。チャレンジ精神はDNAにしっかと組み込ま れていた。

さて、商品名である。彼は思考をめぐらす。

「日本は斜陽だ。日出でる国の面影はもう無い。すっかりたそがれてしまった。そうだ、このたそがれの国からやってきた煎餅という意味で『たそがれせんべい』と名づけよう『黄昏煎餅』で中国人民の口をあっといわせてやる!!」

人のつてをたどって星平は宋顕眠の会社に来る。中国有数の食品製造機械メーカーに、完全自動煎餅焼きマシーンの発注をするに至った。
この機械は無洗米をバケットに入れれば、米を蒸して、餅にして、型に入れて乾かし、焼きを入れ醤油を塗り、一枚一枚包装して12枚ずつ箱に入れ、その箱を24個ずつ大箱に梱包するという、完全自動装置である。

宋顕眠は燃えた。

この新しい食品を中国人民に食べさせることによって新しい食文化を創造できる。さらに、中日の掛け橋として、広く極東文化に貢献できる。(実は宋顕眠の父は先の大戦の折、日本兵に銃口を向けられていたときに、日本から派遣されていた僧侶の一言で、命拾いしたという経緯があるのだが、それは、また別の話)

ここで、大きな技術的問題が発生した。餅を煎餅の形にするための「型」である。

上記のようにやわらかい餅を型に入れて乾燥させそのまま焼きを入れるのであるが、一定の形に焼き上げるための金型がうまく出来ない。焼き上がりの微妙な起伏を再現するには、「煎餅とはいかなるものや」ということがわかっている人にしか、すなわち、日本人にしかこの型は作れまい、との結論に達したのであった。

彼は気がついた

「あっ、ホームページを探してみよう」


人生はコーヒールンバだな 第二話

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