「新聞崩壊」後のニュースメディア、だって

2009年05月27日 | 人生はマーケティングもある。
歌田明弘氏がこんなエントリーを上げられている

で、この文章を読んでの私の思うところを述べます。

歌田氏という方がどのような見識を持っていらっしゃるのか浅学の私としてはなにも書けないのですが、少なくともセンセーショナルな文章使いをされる方であることは、それなりのお年の皆さんにはわかっていらっしゃることだと思いし、若い方たちは、それが判らないことを恥じることは全くありません。

たとえば、「崩壊」とか「灰に帰する」とかいった単語をつかうことで「なんかすごいことが起こってるらしいねえ、怖いねええ」という気持ちを読者に与える。それは歌田さんの提言の価値を高める技法ではありますが、そういったセンセーショナリズム的技法は、今の時代には「ウザッ!」という一言で無価値になる技法です。

では、歌田氏の提言とは何でしょうか?

歌田氏がいかに頭の良い方かもしれないけど、下記の文章を読んでそれをそのままに、なるほどと理解できる人はそれほど多くないと思います。少なくとも私にとっては「意味不明」な文章です。

「日本のニュースメディアは結局どうなるのか。
 この経済混乱がどれぐらい長く続くかわからないが、1、2年のうちに回復するのであれば、日本の新聞社は体制の変革をアメリカほど迫られない。また「紙離れ」の急速な進展のためのリストラは痛みが大きすぎ、日本の新聞社は自分たちの経済的基盤を印刷版に求め続けるだろう。日本では、率先してネットメディアに転換する動機付けが、アメリカに比べて乏しい。
 また日本では、アメリカほど潤沢なネット広告市場もないし、広告収入が特定のサイトに集中しがちだ。こうした問題点が解消されないかぎり、ネット発の多様なメディアは育ちにくい。」

結論的に書くと「何が言いたいの?」というのが私の感想であります。


『「すべてはいったん灰に帰する」と考えている人はネットでは多い。』

これは違います。私を含めて多くのネットで仕事をしている人は、これからの新聞社の役割(一次情報を絶え間なく発信する力)がわかっていますし、テレビの圧倒的な到達力に対しても畏怖をもって認めています(それが、広告主のコストに合うかどうかは別として)。

『新聞社が死につつある』という文章は事の実態からはるかに離れた表現でしょう。ただしくは、新聞紙はその発行量を減らすかもしれないけれど、新聞社の役割は高まることはあっても、死ぬことはない、と理解すべきだと思います。

そもそも、死ぬとか生き残るとかという言葉を使う方の文章は信じる価値は無いと思います。

新聞社が今の情報環境の中でその本分を発揮するのであれば(歌田的に書けば「生き残っていくためには」)、けっして崩壊するのではなく、延長線上で変わっていく力を持って欲しいし、その力が無くなるとすれば「新聞の崩壊」をはるかに飛び越えて「日本のメディアの崩壊」につながるのだろうと感じています。

がんばれ新聞社!




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1 コメント

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極めて、同感です (フルヤ)
2009-06-15 22:48:43
タマさん、フルヤです。

歌田明弘氏、この方の文章ですが、以前もどこかで「alexaの見方」か何かで読んだ事があります。最もらしく、読者受けをする文章を書く能力はあるなと思います。
現実は、タマさんの言うとおりで、私自身も新聞って、まだまだ可能性があると思ってるんですよね。日経ネットにせよ、日経BPにせよ、昼間のビジネス時間帯のユーザーにリーチ出来るメディアであり、これらに比べると一般のポータルは、今後の企業内でのアクセス規制が厳しくなると、ビジネス時間帯のリーチを稼げなくなる可能性は否定できない。
今は、厳しい状態ですが、自社でコンテンツの版権を保持するニュースメディア系は強いと思ってます。私らみたいに、コンテンツの版権を囲い込んでない(借り物が多い)メディアの方が辛いと思います。

私も、新聞頑張れに一票。
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