経営者と中間管理職と末端社員

2007年09月28日 | 人生はメンタルだよな


会社運営の構造を、昔の農村運営になぞらえることが出来ます。

経営者が庄屋、中間管理職を庄屋の使用人そして、末端社員を小作人と。
(小作人の比喩は一部には問題視する向きもあろうかと思いますが、文脈を判りやすくするためと、ご容赦下さい。)

さて、田植え時、または穫り入れ時、小作人は田んぼに入って前かがみに作業をしています。使用人はあぜ道にたって、小作人たちの作業を見下ろして、なにかと指図をしています。
庄屋は小高い場所にある自宅の庭先から広がる田んぼを眺めています。

庄屋は自らの土地と、隣の土地、そして広がる平野と遠く連なる山々を俯瞰するように見渡すことが出来ます。これは、経営者が自社と市場と世界を見渡しているのと同じだと思います。

一方使用人はあぜ道に立って田んぼを見下ろしてこまごまと小作人たちに指示を出しているので、庄屋のような視点を持ちえません。これは、中間管理職が今月、今期、ここ数年の自分にかかわる業務についてしか考えられないのに似ています。

そして、小作人です。かれらは、ただ黙々と手元だけを見つめて仕事をしています。

しかし、小作人は手元だけを見て一生を終えていくしかないのでしょうか。

私は違うと思います。

彼らは、時たま手を止めて、かがんだ腰を伸ばします。そして、あぜ道に立ったこうるさい使用人の肩越しに遠く連なる山々を望むことが出来るのです。

もちろん、使用人も顔を上げて周りを見渡すことが出来るでしょう。しかし、あぜ道から一段下がった田んぼの只中にいる小作人には、隣の田んぼ、広がる平野はよくは見えず、はるか遠くに連なる山々だけを見つめることができるのです。

末端社員(特に若い人たち)は、会社の今日・明日、来年といった短期的な視野より、もっと先の、もっと高みを目指して欲しいし、それが出来る絶好の立ち位置にいることをわかって欲しいのです。

オレもがんばるから、オマイらもがんばれ!