オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その34 キーウィーの見たヨーロッパ 11-05-07

2007-08-15 10:15:19 | 第31ー40回
その34 キーウィーの見たヨーロッパ

4月一月休みを取り、主人とヨーロッパに旅行に行って来ました。
先週金曜に帰ってきて、月曜からは通常通り時差ぼけのまま仕事を始めたと
いう感じです。


南半球の端っこのニュージーランドから、ヨーロッパは本当に遠い。
今回はEmiratesを使い、行き帰りにシンガポールで泊り、メルボルン、ドバイ
にてトランスファーでドイツのハンブルグの往復でした。
さらに、ツアー参加のためハンブルグーロンドンの往復も飛行機。
トランジットではいったん降ろされるので、合計10回飛行機に乗りました。
例の手荷物の持ち込み規制で、チェックイン後に免税店で買ったワインも没収
されて、その後はかなり手荷物に気を使いました。
もうしばらくは飛行機に乗りたくないと言う感じです。
やはり、かなり思い切らないと行けませんね。
でも旅行中、新しい体験やゆっくり考えることもでき、いい時間が持てました。


ロンドンからのツアーではフランス、イタリア、スイス、オーストリアを回り
ました。
歴史の本でしか見たことのなかったローマのコロセアム、パリのルーブル美術
館など、まさにlife time experienceでした。
それに比べ、ニュージーランドは何もないところです。
原住民のマオリ人は文字を持たなかったし、歴史が始まるのはイギリス人が
やって来た1800年代です。せいぜい200年の歴史しかありません。


ツアーで興味深かったことは、いろんな国の人達と知り合えたことです。
年齢、国籍、バックグラウンドも違う44名が一台のバスに12日間乗り、
同じ体験をするわけですからね。
ガイドは、オランダ人のマーク。彼は、英語、オランダ語、イタリア、ドイツ、
フランス、スパニッシュの六カ国語が堪能で、バスの中で簡単な会話レッスン
もやってくれました。
ドライバーは陽気なイタリアン。
イタリアでドライブできれば、ヨーロッパじゅうどこだって運転できると言って
いましたが、そのわけは後にイタリアに行ってわかりました。
イタリア、フランスではバスの乗っているだけでも、心臓が止まりそうなくらい
ひやひやさせられました。
帰ってきて、ニュージーランド第一の都会であるオークランドでさえ、車はゆっ
たり走っているなと思いました。
信号待ちの車の車間距離は広いし、横からの進入にも道を譲ってくれます。

ツアーの参加者は、半数がお隣のオーストラリア人、ニュージーランド人7人
(私達も含めて)、カナダ人、アメリカ人、コロンビア、インド、南アフリカ人
でした。
一口にオーストラリア人と言っても、アデレーから参加した男性はイタリア
の出身でした。彼は、生後18ヶ月の時にオーストラリアに移民し、それ以
来初めてイタリアを訪れたのだと話していました。
私達同様、ツアーは初めてと言う人が多く、一生の一度のヨーロッパ旅行の人
も多く、みんな積極的に行動してました。
自己主張の強いオーストラリア人、イージーゴーイングのカナダ人、なんでも
ジョークにできるアメリカ人、個性の強い南アフリカ人、文句の多いインド人
と私は思いました。
さて、私達キーウィーはどのように思われていたのでしょうか?

中年の夫婦、母娘のコンビが大半で数人が一人での参加で、最後には誰とでも口
をきくようになり、楽しく過ごしました。
最後のパリでのfarewell Partyでは大いに盛り上がり、帰りホテルまで
全員で歌いながら帰ってきました。
ガイドのマークが釘をさしたにもかかわらず、夜中まで二次会が続き同宿の
皆様にはご迷惑をおかけしました。


今回の旅行で主人とよく話したことは、逆にニュージーランドがどんなどこかと
いうことでした。
お互いにニュージーランドは母国ではないけれど、旅行の最中、地元の人や他の
ツアー客と話す時は、ついニュージーランドびいきになっていました。

ツアー中、シドニーからの老夫婦とランチを一緒に取った時のことです。
シドニーの婦人「どこからきたの」
主人「僕達はニュージーランドから」
シドニーの婦人「ああ、クイーンズランドの一部よね」
この言葉に私達は、ああこういう風にオージーはニュージーランドのことを思って
いるんだとがっかりさせられました。
オーストラリアに一部のならまだしも、その中のクイーンズランド州の一部だと言
うのですから。
ちょっと憤慨した主人が、
「ニュージーランドには、危険な蛇はいないし、コアラもカンガルーもいない。
キーウィーはオーストラリアにはいないだろ。つまり大昔からこの二つの国は、
一度も一緒になったことはないし、全然違う国なんだ。だから将来も、ニュージ
ーランドがオーストラリアの一部になる事はありえないよ。」
シドニーの婦人は、思いのほかの主人の応酬に返す言葉もありませんでした。
Commonwealth ゲーム、ラクビーとニュージーランドは常にオーストラリアの
競争相手ですから、オーストラリア人達の間にそういう感情があるのでしょう。


ニュージーランドに来てからワインを嗜み始めた私達は、ニュージーランド
ワインはおいしいと思っていたし、友人にも勧めてました。
ところがイタリアのトスカナ地方、フランス、ブルゴーニュー地方を訪れて
いろいろ試してみました。ドイツでは、甘いリースリングも飲みました。
私達はホテル近くのスーパーで適当に買って飲んだのだけど、どのワインも
それぞれの味わいがありおいしかったです。歴史が違いますよね。
ニュージーランドでワインが生産され始めたのは19世紀からで、盛んになった
のはここ30年くらいです。
同じくチーズも15年くらい前からさかんに生産されるようになったそうです。
フランスの田舎町の露天でおばさんが売っていたいびつなチーズもおいしかった。
イタリアは水の値段かと思うくらいの安いワインが売られてました。
帰ってみると、ニュージーランドのワインもチーズも高い。まだまだ高級品ですね。
私達はニュージーランドのワインしか知らないから、これがベストと思っていた
けど、本場はヨーロッパですものね。


この旅でクライストチャーチのブライアンと仲良くなりました。
彼は、エイボン川で観光用の乗れる小船(バンド)作りの職人です。
この種の船はもともとスコットランドのものだそうです。
船の研究のため、ブライアンは一ヶ月スコットランドに滞在し、その後このツアー
に参加したのだそうです。
イタリアのベニスででゴンドラに乗った時は、ブライアンは特にお願いして船の
サイズを図ってました。
彼は大変な物知りで、行く先々でガイドが説明しない歴史の裏話、Jewishの視点
からの解釈を聞かせてくれました。
彼は、一般にキリスト教肯定的、観光客向けの美談の多いガイドブック的な説明に
批判的でした。


帰ってきて、道歩くオークランド人の表情は柔らかだなと思いました。
ロンドン、パリはやはり都会で歩いている人たちの表情も厳しかったです。
私達は歩いているだけでも緊張してました。幸いにすりにも物取りにもあわなかっ
たけれど、人の多さだけでも疲れました。
14年のオークランド暮らしで、日本の都会で暮らしていた私達も田舎者になった
ようです。

Better lifeを求めて人は移民します。
最初は、パブリックトランスポートが充実していない、物価が高い、移民局の事務
処理がスローなどと文句をいい、こんなこと日本ではありえないなどと言ってました。
10年もたつと慣れてきて、すべてが当たり前になってきます。

今、私はニュージーランドは自分を見つめ、鍛錬していくにはいいところだと思い
ます。芸術家、職人が自分を見つめ、マイペースで技を磨いていけ、他人の目を気に
する必要もありません。
ただし競争、都会の喧騒がすきな人には向かないかも。
私がこういう風に思うようになったのも、年のせいでしょう。
中年期となり、これまで自分がやってきた仕事をこの先10年でどのように展開、
発展させていくかということに課題をおいているせいでもあるでしょう。

ニュージーランドは平和で暮らしやすいところですが、こうやって時々は海外
にでて刺激を受けないとマンネリ化してしまいます。
旅行で撮った写真を整理して、旅先で見た花のデザインをすこしずつ試していこう
と思ってます。

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