爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 16歳-35

2014年07月06日 | 11年目の縦軸
16歳-35

 友だちとファミリー・レストランで夜中の時間を過ごす。別の友人の両親も夜中と呼ぶ前のまだ早い時間には遠い座席にいて、自分の息子が過去の青い時期にぼくにしたことを気にかけて、ぼくらのテーブルにビールを注文してくれる。ぼくの指には数針の、そして数センチの縫ったあとがあり、その傷の報いをこうして受けている。閉じた傷からも恩恵があるのだ。

 閉じない傷は、逆にこころのなかで雄弁だ。

 別れた彼女と同性の友人もいた。ぼくらの真後ろの席にいる。狭い世界の話だ。この近くの公衆電話でぼくは度々、彼女の家に電話をした。ぼくの友はぼくの終わった関係をからかう。暇にしているぼくらにとって、ちょうど手頃な話題だ。トランプを偶然、二枚引っくり返したら、同じ絵柄だったように。ぼくらは後ろ向きでひとことも会話を交わさない。ただ、背中に彼女の視線があるような気がした。小さな町の又聞きから情報を入手すると、彼女はぼくともう一度きちんと会って話してみたいと言っているそうである。ぼくは有頂天になることをいさめた。一回、山で遭難したひと、あるいは海でおぼれたひとがそれらから遠ざかるように、ぼくは浮上の幸福ではなく、墜落の高さをおそれた。登山の楽しさではなく、遭難にあう憂き目をおそれ、救出の迷惑と恥を事前検証した。すると、ゴーサインを出せるはずもなかった。

 子どもであれば宣言として必要以上に泣くこともできた。誰かの耳に手厚い保護や愛撫の欲求を入れるため、伝えるためにわざとアピールする。シミュレーションでPKをもらうように。大人は軽々しくそうした振る舞いもできずに、表面と根底の感情を使い分けるのだった。ぼくはちっとも悲しんではいないという風に。転がる姿を見せるなど、鍛えていない証拠なのだ。

 ビールのジョッキが空になると、今度は自腹で飲む。彼女の会話は聞こえない。ぼくはいないフリをしているが、そこにいて振り向いて様子を確認したいという誘惑と戦っている。もし、別の友人といるなら、そうしたかもしれない。ぼくと彼には数年の間柄がある。弱音を見せることなどもできないし、見栄に過ぎなかろうが、強さ以外の感情を介在させないなにかが確実にあった。

 だが、ぼくは彼の家にその後泊まり、寝言で未練たらたらの言葉を吐いていたそうだ。夢のなかまではコントロールできない。ましてや支配下にも置けない。そして、ぼくの寝言の対象を彼は知らないでいた。別の誰か、どこか遠くの見たこともない女性かもしれないと予想もできた。

 こころを隠すということを、このように自然にしてしまうようになった。もっと開けっ広げに、彼女が話したいというならば応じればよかったのだ。た易いことだ。ぼくには面子があり、その面子を保つために、ぼくの外部と内部に差があった。これがつづけば精神の病をかかえるようになるかもしれない。その判定を自分が下すわけにもいかないが、ひとに知られることにも無言で抵抗した。だが、それは明らかなのだ。ぼくには、もう次がないのだ。好きになりそうな感触はこころのなかにあり、芽生えそうでもあったが、やはりどこかで、彼女と比較した。もうそのままの、ありのままの等身大の彼女ではない。ぼくのなかにいるメッキされた、コーティングされた彼女とである。勝ち目がないのは当然だろう。

 ぼくは親指の付け根を見る。過去の傷がある。数年前に近くの医院で縫われたものだ。痛むことも、血がでることも当然のことない。外傷というのは見かけには影響するが、直ってしまえば重く考えることもなくなる。それに対して、内面の傷はもっと厄介であった。ひとは原因やいまの状況を、好奇心か慰めか、あるいは両方のためか知ろうとするかもしれないが、ふて腐れてしまえば訊きようもない。故に世間との溝ができる。

 ぼくが望んでいた、生きたかった十七才というのは、いったいこういうものだったのだろうか。話すことが楽しかった相手が、ぼくの一メートルも離れていない後ろにいるというのに、そこにはわだかまりがあり、誤解があり、そして、恋の終焉があった。ぼくは、またここでも被害者になろうとしている。彼女こそ栄光の被害者なのだ。その愛くるしさによって、その立場がふさわしくないように感じられているだけなのだ。

 ぼくらの喉に数杯のビールが消える。彼女たちも帰った。「じゃあね」とかの軽い挨拶もいえず、ぼくらは別れるときに必ずキスをしていたはずなのに、もうぼくにはできない。主導権がないということではない。同じことをすれば、犯罪者に近く、婦女暴行という定義とも、そう離れていなかった。

 ぼくらもそこを出る。以前、使っていた公衆電話を見ないフリをして通り過ぎる。あれが何度も彼女の声を通じさせてくれた。ミュージカル映画でもあれば、この物体は突然に意思をもち、楽しげな様子で自分の四角い身体の横から腕をだして、さっとぼくの眼の前に受話器を差し出すところだった。さあ、ちょっとした勇気をだして、会話しなよ! という風に。

 だが、ぼくは友人と別れて、とぼとぼとひとりで歩く。その付近では大きな公園を横切る。ここで彼女とよく話した夜もあった。後日、ある歌手は唄うのだ。全部、君だった、と。


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