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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 16歳-3

2013年11月20日 | 11年目の縦軸
16歳-3

 考えてみれば、その年は終戦後から四十年が経っていた。もし、国家にも年齢と成長があるならば、働き盛りの、まさに脂がのった年代のように、この国の経済は潤っていた。ぼくは早めに学ぶことを辞めた。正確にいうと、学ぶ枠組みから外れた。ぼくらの周囲ではそうした選択が稀なことではなかったが、両親は、がっかりとする。ぼくは、勉強でのテストの点数で低い評価を受けたことはなかった。根気や努力などということばとは無縁のところに住みながらも、総じてぼくに甘い採点をつける世界であった。しかし、この領域に永住する資格のようなものをぼくは保有していないらしかった。

 みなが学校で過ごす時間にぼくはバイトをしている。彼女も放課後や空いた時間にバイトをしていた。ぼくはその姿を思い浮かべる。ここでぼくは彼女の視点に立つ。社会での成功から隔絶された人間に好意を持続させることは、大人は遠慮する。あの年代の少女だから、彼女は疑うこともしらず、自分に信頼を保つことを拒否しなかったのだろう。

 生活とか将来とか結婚とか、すべての長期的な展望もない年代で、幸せは針の先ぐらいの小さなものでありながら、それゆえに、ぼくらには永続性への確たる自信があった。どんな障害があっても関係は壊れないのだという根拠の提示もできないものであったが。ひとが、ある状況を信頼するとか、信仰をいだくとかは煎じ詰めれば、もしかしたら、そういう無心のうえにだけ成り立つものかもしれない。

 背景はそういうものだった。経済は上向きで、貧困による略奪や暴行などは存在しない。繁栄の一員であり、それを幸運とも思わずに、素直にただ受容していた。イデオロギーで世界は敵対し、二分することをおぼろげながらに知っていても、ぼくには融和があった。西ドイツと東ドイツが永久に存在するならば、ぼくらの関係も終止符を打つことなどはあり得なかった。

 彼女のことを毎日、考えてはいるがぼくは友人たちとも当然に遊ぶ時間をもつ。夜のファミリーレストランで何杯もコーヒーを飲んだ。ぼくらには移動する車もなく、バイクの免許を取得する年齢も来ていない友人たちもいた。その工面のために友人たちもバイトをしている。九時ごろまでガソリン・スタンドがある国道沿いで働いている。その労働と対価の証拠に爪は汚れる。

 彼らがバイトを終えるころから、それぞれの自由時間に恵まれるのだ。そして、コーヒーを飲む。ぼくらは会うために実際に家の前まで行き、バイトが終わる時間を見計らって、その前まで行った。不便であるということもまったく思わなかった。ぼくらはあるひとつの町で不自由もなく暮らしている。偉くなることも選択肢になければ、困窮に陥ることも考えにくかった。その数人には恋人がいて、彼女らの存在もぼくはずっと知っている。世界はあまりにも狭いものであった。しかし、学生生活があれば、彼らの行動範囲も限度はありつつも自然と広まっていく。ぼくはそれとは別に平日のバイトの休みに都心をひとりでうろうろすることを覚えていく。男性が洋服にこだわるということへのブームに火がつくころだった。デザイナーという職業がクローズアップされる。それは人気ある誰かに着られ、その人気ある誰かをお手本にして、ぼくらは自分らの今後のあるべき姿を作ろうとしはじめるころでもあった。

 格好よくなるのも、話題が豊富になるのも、彼女がいてこそだったと思う。彼女自身もきれいでいたいと願うのは、ぼくという存在を念頭に置いてのことだったかもしれない。彼女を見かけたぼくの友人たちは、「最近、あいつ、すごい可愛くなった」と言った。そのセリフは、ぼくに対しての誉め言葉かもしれない。誰かの雰囲気を善い方向へ変える力を自分は有しているのだ、という漠然とした優越感のくすぐったさが自分の周囲を覆った。

 だが、ぼくはそのことを彼女に告げない。またその変化をそばにいるぼく自身は見抜けないのかもしれない。単純にぼくの愛情は、客観的な判断ができるほど冷静なものではなかった。ぼくは当事者であり、一介の観客ではない。批評も加えられず、移り変わりを眺められるほど悠長でもない。ただ、彼女が可愛くなれば、多くの男性の視線を浴びるであろうことは想像できた。不利益をもたらすかもしれないその視線の集中砲火は、彼女の気持ちが変わらないという安心感を揺るがすことはなかった。揺るがさないであろうと信じたかっただけなのだろう。目の前の彼女を身近に感じれば、その動揺を疑うことなどない。だが、それ自体も常に接しているわけでもないので根拠もないことなのだが。

 ぼくは飽きるほど今夜もコーヒーを飲んでいる。自分が愚かなほど彼女のことを好きだということを友人たちに知られたくないという不可思議な見栄があった。彼らの判断も分からない。おそらくはすべてを知ってしまっているのだろう。正直にいえば隠す必要などまったくない。なかには別れを経験して数人目の女性と付き合っているひともいる。それは誰かの後釜ということであり、心変わりの確かな証拠を目にしながらも、ぼくには絶対に訪れないと思っていた。このコーヒーだって、空になれば永久に継ぎ足されるぐらいだから。