爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 38歳-2

2013年11月18日 | 11年目の縦軸
38歳-2

 暗い中で音楽に耳をすまし、ぼくは彼女の匂いを感じる。香水なのか他の別のものなのか、そういうジャンルにうとい自分には分からなかった。だが、不思議と安堵感があった。ぼくは途中うとうとしてしまったようだ。それが音楽のもつ効用のひとつならば、充分にその責務は果たせられたのだろう。

「寝ちゃったのかな?」

 間の休憩時間になると照明はまた点き、暗い状態に直ぐになれた自分の目はまぶしさを感じていた。原島さんはパンフレットのページを開いていた。
「はじめまして、おかしい挨拶だけど・・・」と、彼女は照れたように言った。「会ったことないですよね? でも、どうしてわたしだと分かったんですか?」と訊いた。
「いつも、電話で話していたから、さっきの、ひとの前を掻き分ける言葉で」
「それだけで?」
「そう」
「耳がいいんですね」
「耳がよくても、音楽に向かわず、ちょっと、眠っちゃったけどね」

 直ぐに館内は暗くなり、音楽がはじまった。配布していたパンフレットを開かなかったぼくには曲名も分からなかったが、その旋律にこころを動かされたという正直な気持ちがあった。遠い国のどこかで遠い時代のひとが作曲をする。それを元に再現する。近くには仕事で関連したひとがいて、その時代も地域も分散されていながらも、ここで一点に集中したことを不思議に思っていた。もう、眠くない。音楽は次の楽章にいき、クライマックスに向かった。音楽が終わると、拍手の波が何度かあり、その都度、指揮者は出たり入ったりを繰り返した。それから、徐々に聴衆は席を立ち、奥まった自分たちは通行できるころを見計らって立ち上がった。ぼくは軽食をその前に口にしていたが、空腹をすでに感じていた。音楽が果たすもう一面の分野なのか高揚した気持ちが伝染したかのように、ぼくは原島さんの気持ちも訊く。

「お腹、空かないですか?」
「はい、何も食べてないんで」
「どっか、寄ってみます? せっかくなんで」

 空腹になれば食事をする。当然の営み。ひとりでもすれば、男性の友人ともする。女性とも食べる。そこに絶対的な専心など、もうどこにもないのだ。二十二年間の時間がぼくを賢くし、かつ同時に愚かに不明瞭にする。

 少し離れた場所に手ごろな店があった。奥まったところに小さなテーブルがあり、そこだけが空いていた。薄暗い場所で、ひとの声は大音量を発するのに向いていないものとして認識されていた。ぼくは頭のなかで女性を分類する。ひとは大雑把に分けることができた。それを抜きにして、新たな最初の経験などもう得られないのだというあきらめも次第に生まれる。だが、こうしてあまり知らない女性といると瞬時にその確信も消えてしまうのも確かだった。

「やっぱり、割り当てられた口ですか、きょうのチケット?」と、ぼくは訊く。
「半分はそうだけど、半分は行ってもいいなと考えていたから」

「そう。じゃあ、似たり寄ったりですね」次のセリフをぼくは思案する。「でも、曲名も分からなかったけど、後半の曲、良かったですね」
 彼女はある作曲家の名前を口にする。自分の肉声を発するのが音楽だと思っていた年代もあった。いまでもそう思うことには変わらないが、楽器だけで、それも複数の音がブレンドされてここちよさ、たまには印象的なものに化けることも経験から知るようになっていた。

 注文した料理が出される。この味も似たようなものだった。子どものときに食べていたものとは好みも違った。単一なものではなく、複雑な味覚を手に入れ、ある面では口うるさくなった。いっしょに酒を飲んでくつろいだ気持ちになることを覚え、気軽に冗談を言い合うこともできる。そこには無我夢中などもまったく垣間見られない。すべては演技が入り込む余地を作りつづけ、その役柄を多少だが変更させながら、見えないゴールを紆余曲折をわざわざ入り込ませ楽しんで向かうのだ。ゴールがすべてではなく、道中こそが大人の楽しみでもあった。

 ぼくは彼女の声と匂いを知っていたが、外見がその大元であるのだという判断になかなかいかなかった。彼女の声はその体格が母体となり、屋台骨であるはずだった。その周囲に振り撒くものの源も彼女自身であるのだった。だが、ぼくはその口から発する声や、ある種のテリトリー外のものを気に入っていた。少しずつ、指や髪や彼女に付随するものを確認していく。服や靴も視線に入る。ぼくはいったい女性に何を求めるのだろう。

 空腹も満たされ、他の刺激の音楽も、先ほどの演奏で充分に堪能していた。幸運をわざと先延ばしにするという選択肢もあった。それで逆に逃がしてしまうこともあるが無論、それで構わないことも多くある。一日を競うほどのせっかちさは、もうぼくにはなかった。だから、ぼくらは最寄りの駅で別れる。いつか、こういう場面をなんどかしたなという記憶の幻影をさぐり一日も終わる。ふと、ぼくはあるメロディーを口ずさむ。だが、聞いたばかりの音楽でもなく、いま出てきたばかりの店でかかっていた曲でもない。ずっと前の音楽がもうとっくに忘れていたと思っていたのに、この時点で戻ってきた。ぼくはその場面に出てくる女性のことも同時に思い出す。永遠にぼくのなかで十代で閉じ込められてしまった女性。彫刻が変更を加えられないように、彼女の姿も永久に変わらない。変わるものはぼくだけなのだ。しかし、変わっていると思っていることも煎じ詰めれば、まったく同一な状態を保っているのかもしれなかった。それを間違っていると指摘するひとも当然のこといないので正解かどうかも明らかではなかった。