爪の先まで神経細やか

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流求と覚醒の街角(70)時

2013年11月04日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(70)時

 ぼくは奈美を待っている。いつもの時間。腕時計はずっと見ていると時はゆっくりとすすみ、目を離したすきに急に時間が経っていることを知らせるようだ。いつもなら。そして、ぼくはこの奈美を待っている時間を気に入ってしまっていたのだった。無駄とも呼べるが、この真空の時間がぼくのこころの濃度や透明度を測ってくれるらしかったので。だが、この日は、まったく時は動かないようだった。

 ぼくは奈美とはじめてあった日を思い出そうとしている。友人の結婚の披露宴があった。ぼくは用意をする。シャワーを浴びてひげを入念にそり、タオルで拭きながらきちんとアイロンのかかったシャツを見る。横にはこの季節にはあまり着たくないスーツがハンガーによそよそしくかかっていた。ネクタイの色も柄もそれなりに華やかなものだが、実際は個性もないものだった。きょうの主役は自分ではないのだ。

 仕度をしながら見るともなくテレビをつけている。どこかの地方の高校野球の予選だった。ぼくにはどちらの学校にも思い入れもなかったが、有名になりかけているエースが投げると、そこだけは画面が締まって見えた。ぼくは今日、結婚する友人と同じようにスポーツで汗を流した日々を思い出していた。ふたりともあの日には戻れないが限定された時間が共有の財産であることは知っていた。ぼくらはそこでの生活とは別の部分でそれぞれの人生を作りかけていた。ぼくは真剣な愛に破れ、彼は最愛の女性を見つけているのだ。ぼくはそれを祝う。そのために着たくもないスーツを暑い最中に無理をして袖を通すのだ。

 ぼくはトラックでリレーのアンカーだ。ただ走るということがすがすがしさと懸命さを持ち込む。ぼくのチームは三人で一位を死守してぼくにつなぐ。その貴重な貯金を、アンカーであるぼくは切り崩して使い果たし、さらには借金までしてゴールを迎える。数人に追い抜かれて、すがすがしさは霧散する。仕方がないのだ。周りは各チームの強豪たちなのだ。ぼくはひとりたたずむ。慰められもしない。ただ、負けるのを薄々は知っていて、覚悟もままならないまま走っていた。ぼくは友人である前の走者とグランドをあとにする。そのバトンを渡すのはぼくではなく、嫁になるひとなのだと、この日にずるく思うとした。ぼくは、誰に慰められたら良いのだろう。ぼくの真剣なる愛は数ヶ月も前に終わったのだ。次の試合があっても良いころで、今日もまた友人たちに特定の彼女がいないことをからかわれるのだろう。

 その日に奈美に会った。あの高校野球の予選は当然のようにエースのひとりの力で勝ち抜いた。ぼくはその嬉しさを根本的には理解できないのかもしれない。負ける側になることをその少年は知ることになるのか考えようとしたが、はっきりいえばぼくとは無縁で、それほど理解することに能動的でもなかったのだ。他人という範疇にずっと存在するべきひとたち。あの日の奈美は当初は他人だった。ぼくらはどこかで流れを同じくし、澱みにいったん紛れ込み、同じ流木を手と手を合わせて運んでいった。一致するというのは存外に心地の良いものであった。だが、まだここに来ない。

 いつも遅れる奈美だが、もうその猶予の時間は過ぎていた。多分、来ないのだろう。事故にあった訳でもなければ、誰かの死や病気で病院に駆けつけたわけでもないのだ。ただ、もうぼくの前に姿を見せないことを決めただけなのだ。それは彼女にとっても簡単な選択ではない。楽しいことだけのことでもない。ぼくは心残りのひとのようにちらと電話を見る。着信もメールもない。ぼくから、かけることも考えなかった。未練がなかったはずもないが、バトンをもつ友人はぼくにつなぐことを放棄しただけだという映像をぼくは勝手に、無断で作り上げて丹念にもてあそんだ。これも楽しさをもたらすだけでもなく、傷を深める意味しか有しないようだった。

 ぼくは路上で呼びかけられるままある店に入った。メニューを見ることもなくビールを頼んだ。どれほどのお客がいるかも考えられなかった。ただ、また大切なひとをひとり失うだけなのだ。

 お客さんは歓声をあげる。ぼくはテレビに目を移す。ある投手がボールを放って無残にくず折れていた。あの予選で同じ年代では敵がいなかった少年も、負けることがあることを知ったようだった。だが、男の子は立ち上がらなければならない。勝っても負けることがあると知っていても、もう一度、立ち上がって向かわなければならないのだ。そう客観視できた自分は、自分の試合に負けてばかりいるようだった。しかし、ぼくには奈美との二年ばかりの貴重な思い出が残った。そのすべてをぼくはビールを飲みながらだが思い出そうとしていた。週に一度会えば、最低でも百近い奈美の姿があるはずだった。当然、別れることを前提にして記憶を刻み付けているわけでもない。記憶というぼんやりとしたものを前にぼくには選択の自由などもない気もする。しかし、男の子は立ち向かうべきなのだ。投手は代えられた。数日後には次の出番があるのだろう。そこで憂さを晴らせばいいだけだ。ぼくにはブルペンもない。敗戦の詳細や原因を記事にする記者もいない。ただ、ビールの泡を前に、自分で思い出すだけだ。これが、普通のひと。これがスポットライトの照らさない場面と、他人の耳を意識せずにひとりごとを言って。

(完)