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流求と覚醒の街角(68)涙

2013年11月02日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(68)涙

 涙にきちんとした形などあるのか? 様々な状況で涙というものが訪れる。嬉しさが込み上げた瞬間に。念願が、時間が相当かかったが叶ったときに。それらは歓迎すべきものである。ぼくは、この期間に何度か奈美の涙を見た。テレビのドキュメンタリーで困難な立場ながら全力で尽くし頑張ったひと。奈美は泣き、ぼくも涙を誘発された。しかし、ぼくの発した言葉や態度がきっかけで生じたこともあった。それは少ない回数だと思いたいが、どれほどの頻度で泣かすぐらいが適正なのか、ぼくはその平均値をもっていなかった。

「結局、女は泣くんだよ」と、友は言った。その言葉の裏には山でマツタケを見つけたほどの驚きもなかった。「あれは、浄化作業の一環。自分自身へのリンス」
 そう宣言されても、ぼくの落ち込みが減るわけでもなかった。前夜、奈美は泣いた。ぼくがいなければ、彼女の悲しみはひとつなかったことになる。だからといって、ぼくが奈美の喜びの源泉の機会だって度々はあったのだ。恐らく少なくない程度には。

「あれは爆弾でもなければ、決してテロでもない。でも、奈美ちゃんも泣くんだね?」と、友は付け足した。彼の認識では奈美には弱い要素がないようだった。先ほどの彼の理論とは一致しないようだが、自分の発言自体をもう忘れているようだった。

「もう、どれぐらいだっけ?」
「どれぐらいって?」ぼくは質問の内容が分からなかった。
「付き合ってだよ」
「二年近く」

「あいつの結婚のときに会ったんだよな、お前ら。すると、あいつも、もう二年か・・・」友はそのふたりの不仲を暴き立てていた。それを聞くと、ぼくと奈美はいかに親密であり、互いを必要としているかが深く理解できた。その別の友人には申し訳なかったが。だが、それも本質的には相対的なものではない、ぼくと奈美だけの問題でもあった。しかし、あの完璧なる結婚を遂げたと思っていたふたりの仲が亀裂するならば、世の中に安泰などひとつもないことも彼らが身をもって教えてくれているようだった。

 友は、それから新しい恋人の話をした。ぼくは映像をうまく思い浮かべられず、そのぼくにとっては架空に近い人物の容貌を、前の女性として想像していた。彼らのはじまったばかりの愛は手垢もついておらず、すべては新鮮でみずみずしくあった。友は常に会うたびに驚きを得られ、一日の別れにはその見返りとして寂しさを感じていた。継続をつづけるたびに、ぼくらは激流を捨てる。だが、激流には魅力があった。荒々しいざらざらとしたもののなかにだけ眠る真実もあった。そのうちに石は角を削られ、磨耗していった。表面がなめらかになり互いがぶつからなくなることもまた歓迎すべきことだったが、刺激が足りなくなるという諸刃の面もあった。だが、いつまでも刺激を求めることも間違いに通じそうだった。

 ぼくらは別れる。ひとりになって自分だけの思考に戻った。すると、彼との会話がさっき以上に耳と脳に響いてきた。今度、彼は新しい恋人を紹介するともいった。奈美もその女性に会うことになるかもしれない。ふたりは融和するかもしれず、反対に、相性が合わないかもしれない。永続する関係を構築する必要もないふたりの仲を心配することもない。ぼくと奈美の今後だけが問題なのであった。ぼくは自分が未来に目を向けるのが単純に下手であることに、その道で気付いていた。気付くのもかなり遅かった。ぼくは過去と過ぎてしまった変更が不可能な時間にただようことを愛しており、そのぬかるみで転げまわりたかった。だから、ぼくは奈美の涙にこれほどまでに拘泥しているのだろう。明日、奈美を死ぬほど笑わせればいいだけなのだ。結論としては。いや、笑いなど必要もなく、安心感を与えられれば終わりなのだ。それでも、未来はなんだか本音をぼくに対して現してくれそうにもなかった。誰もがそう思っているのだろうか。

 ぼくはきょう何度も奈美に電話をするタイミングがあった。身近に電話を保有して生活するようになっているのだ。その為、鳴らない電話は必要以上に存在を主張した。バッグやポケットのなかで身を潜めて。

 涙は、どこに身を隠しているのだろうか。製造するのはどのときなのだろう。他人のことばが信号となり、傷をつけたり、怒りを誘ったりする。涙として結実するにはあまりにも時間が短すぎる。咄嗟に言い訳を考えつくのも時間がかからない。重みもない言い訳。永遠に泣くこともできない身体。だが、ずっと悲しみを引き摺ることはできる。涙以上にそれは重いものだろうか。ただ、煩わしいだけのものだろうか。過去を愛する自分はその煩わしさにも愛着をもっていた。肩を寄せ合って、夜を徹して会話したいぐらいに。

 夜、だいぶ遅くなって奈美から電話がかかってきた。ぼくは友との会話を再現し、彼の新しい恋人と今度、会おうと奈美に告げた。

「何人目の恋人だろう、多くない?」と、奈美は言った。
「彼も彼なりに、別れれば泣いたりしたんだよ」ぼくは友人の弁護をした。
「ほんとう?」疑念はどこにでもある。質問になったり、涙になったりする。黙られることがいちばん怖かった。ぼくはそれを避けるためにできるだけ言葉を費やした。彼女の笑い声を聞く。乾燥した笑い。湿度の多い悲しみ。どちらも奈美の一部であり、どちらも愛さなければならないと、ぼくは電話の距離を考慮に入れながらも考えていた。