爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 16歳-2

2013年11月16日 | 11年目の縦軸
16歳-2

 電話をかける相手がいる。この前世紀の偉大な発明の機械が将来、自分の役に立つとは、充分に理解していなかった。もっと幼少期のころは。忘れ物を繰り返すぼくに業を煮やした教師は、その機器を存分に活用しぼくの行状を母に伝えた。つれない機械は違う一面も宿していた。夜のひととき、別の場所にいながら同じ時間を共有する。同じ気持ちも共有している。互いに相手を必要としているのだ。疑うこともなく。

 会う約束をする。途端に彼女の声は輝きを帯びる。ぼくは誰かに、とくに自分にとっても大事なひとから重要視されていることにプライドが満たされる。声の小さな変化だけでぼくの気持ちが高揚する。あさっての彼女はどれほどの喜びを体内に宿しているのだろうか。ぼくには計る単位も分からない。ただ真正面から受け止めるだけでいいのだ。

 それほど伸びないヒゲを剃る。その肌に清涼感が満載のローションをすりつける。にきびはそれほどできなかった。今後も増えることはないだろうが、この数日で急にできないことをささやかながら願う。

 好意という感情の究極の形を求めるならば、ぼくは彼女以外の誰かを、これから好きになるということなどはあり得なかった。もし、彼女がぼくに対しての一途な気持ちを仮に揺らがせることがあれば、ぼくの世界はあっさりと終わってしまうだろう。その瞬間に。同時進行の世界でも、三本のホームランをバック・スクリーンに打ち込んだところで、阪神タイガースの快進撃も同じ不運を帯びて急速に幕を閉じるのだ。もちろん、未来の優勝も日本一もなければ、カーネル・サンダースも道頓堀に落とされることもない。その白い人形にとっては幸運でも、ぼくにしてみれば世界の終りだ。だが、やはりぼくは彼女のこころがわりなど微塵も信じていない。あの電話の声を聞いてしまったあとでは。

 別の高校にすすむまでは同じ学校に通っていた。彼女はぼくの認識の中では十四才ぐらいで目の前に訪れる。その前からいたはずだが、ここから、はっきりと愛らしい容貌の少女として具現化された形をとって。同じクラスでもなく、他の課外活動でもいっしょにならなかった彼女とひざを突き合わせて話し合ったことなど皆無だ。いくら話し合ったとしてもその年代の自分にとって、「気が合う」という簡単なことすら理解できなかったはずだ。物事の選択の基準で、同性以外といっしょにいて楽しいという感情をもちこむことなども知らなかった。いっしょにいれば必然的に緊張がともない、恥ずかしさも生じ、より良い自分を取り繕って見せる必要もあった。まだ異性に対して判断材料がとぼしい。その乏しさによって、淡い恋の純度も増した。

 別の学校に通うようになってからだが、彼女はぼくの交際の求めに応じる。小さな結実しない好意など、感情豊かなこころにもよるが、その年代には多く表れるのだろう。その小さなものが、大人が使う言葉で表現すれば契約という口頭での約束をしたことによって、思い出のいくつかが生まれることになる。やっと、スタート地点に立ったのだ。スタートの合図とともにさらに自分の感情の機微を表出させることになった。

 ぼくは十四才で彼女の存在を知ったときから、いつかそういう関係性をもちたいとこころの奥で漠然と思っていたのだろう。だが、レースには何人かが前に加わっており、ぼくは先頭に立つチャンスを得られないでいた。バック・スクリーンを狙うバッターは山ほどいるのだ。かといってこの恋が本物に化けるのか判明させるのも、その年齢の自分にとっては数学の公式の定義よりもむずかしいことだった。

 だから、ぼくもその空白の期間を埋めるべく、別の女性を探した。直ぐそこにいた。

 だが、お互いのその永続性も期待しなかった関係も間もなく、とんぼの命くらいの短い期間で終息し、ぼくらはそれぞれをその地点で必要とした。ぼくは彼女を約束の時間に目にする。ぼくにとってはその日という概念しかなく、この数時間がたいへん貴重なものだった。運動会の種目のひとつで異性と手を触れるのをあれほど避けた自分は、自分の右手に包まれている彼女の左手のぬくもりを確認するだけで誰よりも幸福であった。たまには、彼女の腕はぼくの腕にからんできた。いや、からませるよう望んだので、彼女はしてくれたのだ。小さな接触を積み重ねることによって、ぼくらの関係の密度も深度も深まっていくようだった。

 身長が十センチ以上も低い彼女の小さな身体。男性とは確実に違う流線型でできている表面。ひまわりのような純粋な明るさをもつ笑顔。曲がったことがキライな一面を見せたときの口調。夜の公園のベンチ。彼女は女子高でできた友だちの話をしてくれた。そこには引っ越しでいなくなったぼくの小学生のクラスメートがいた。共通の話題になり得る可能性のあるものを隅々まで探した。だが、会話がなくても彼女の手のひらは、それ以上に能弁であったのかもしれない。とくにぼくにとってだけは。

 一日が終わる。両親がいる家に戻らなければならない。彼女の家のそばまで送る。見たこともない家族の顔を想像する。家族の構成も知る。犬もいる。しかし、当然のことすべては付属品で中心にあるのは彼女だけだった。ぼくはその中心を弓で貫く。周辺に到達することは絶対にない。彼女はお風呂に入って眠る。翌日、弁当をつくって学校にいく。その世界にぼくはいない。だが、彼女の気持ちのなかにはきっと居場所を見つけていることだろう。そう思いながら、ぼくはそこから遠くない自分の、兄や弟もいる自分の家に向かった。