朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

真徳女王の謎

2010年03月09日 | 善徳女王
ドラマの先の話となるが、トンマンこと善徳女王(在位632-647年)の後を継いだのは同じく女帝である真徳女王(在位647-654年)である。

善徳女王は朝鮮半島で初の女帝だったわけだが、彼女は子宝に恵まれなかったようで、結局、善徳女王亡き後も聖骨(ソンゴル)の男子は存在せず、引き続き聖骨の地位にある女性が王座についたということらしい。

系図で見ると、真徳女王真興王(チヌン大帝)の姪にあたる人物なのだが、Wikipediaによれば、その「父は第26代真平王の母方の叔父である国飯」ということなので、真平王(チンピョン王)の従兄弟(いとこ)でもあるわけだ。(この辺りは前にも書いたが当時は近親婚が多いのでかなりややこしい)

ところが、続くWikipediaの記述に少し気になる部分がある。

『旧唐書』では先代の善徳女王の妹と記されている

おやおや、これはいったいどういうことだろう。
『旧唐書』は朝鮮半島から見れば外国の文献なので、そちらの記述の方が正しいとは考えにくい部分もあるのだが、それにしてもおかしいではないか。チョンミョン、ソンファの他にもう一人妹がいたのだろうか。

そしてこれをどう考えるかだ。

善徳女王 → 金徳曼
真徳女王 → 金勝曼

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。