最近になってようやくわかったことだが、ドラマ「善徳女王」の人物設定は「花郎世紀」をベースに作られたものらしい。
例えば、「三国史記」において「真平王の長女である」とハッキリ書いてあるトンマンがドラマでは(双子とはいえ)次女の扱いとなっている点や、「三国史記」でも「三国遺事」でも同一人物とされる龍樹(ヨンス)と龍春(ヨンチュン)が兄弟となっているところは「花郎世紀」の記述を踏まえているらしい。
また、花郎(ファラン)の多くは架空の人物かと思っていたが、意外と実在の人物が多いようだ。
「花郎世紀」は、現時点では日本語訳されたものは入手できないようだが、あちこちのサイトに参考となる資料が掲載されているので、Webで調べるだけでも意外と面白い事実が見つかる。
例えば、
- 真平王とミシルの間には宝華(ポファ)という娘が生まれている(トンマンの異母姉妹だよな?)。この宝華の息子が善品といい、21代目の風月主(プンウォルチュ)となった人物だが、この善品の娘が文武王(チュンチュの息子)の王妃となっている。
- 真興王(チヌン大帝)の王妃は思道(サド)夫人であるが、この二人の間には阿陽(アヤン)という娘が生まれており、阿陽と武力(ムリョク)の間に生まれたのが舒玄(ソヒョン)である・・・なぬ?じゃあソヒョンはチヌン大帝の孫ってこと???
ところで、以前にも言及したが、「花郎世紀」は一般には偽書とされているものである。
しかし、正史の記録が100%真実とは限らないのと同様に、偽書の記述が100%ウソを書き並べたものとも言い切れないのである。(そのあたり、このブログではニュートラルな姿勢でのぞみたいと考える)
さて、「花郎世紀」と同様、一般には偽書と認識されているが、朝鮮半島内では歴史の資料として活用されているらしい「桓檀古記」というものがある。
この「桓檀古記」の中には日本(倭国)に関係する驚くべき記述がある。
とりあえず、その部分を引用してみよう。
『桓檀古記』高句麗国本紀
陝父は、南韓に奔走して、馬韓の山中に隠り住居する。将、革を知り、浿水(清川江)を下り、海に出て狗邪韓国に至り、加羅海の北岸に居する。転じて阿蘇山に移住して多婆羅国の始祖となった。後に任那を併せて連合国として治めた。そのうちの三国は海にあり、七国は陸に在る。
多婆羅国には、弁辰狗邪国人が先住して狗邪韓国といった。多婆羅国は多羅韓国ともいう。忽本より来たりて高句麗と早くから親交を結び、烈帝(広開土王)が制した。多羅国は安羅国と同隣して同姓である。旧熊襲城を有す。今、九州の熊本城がこれである。
さて、この陝父とはいかなる人物か?
このブログをご覧の方には簡単すぎる問題かもしれないが、とりあえず続きは次回で。
韓国の史劇は好きで、たくさんは観てませんが特に朱蒙と善徳女王は大好きです!ブログの更新楽しみにしてます~
問題の答えすぐわかりましたが、ビックリです
次回期待してます
ありがとうございます。
答えはすぐにおわかりだったと思いますが、もう少し検証を加えたうえでさらに興味深い事実を紹介していきたいと考えています。
乞うご期待。
ユシンのお父さんですよね・・・え~~驚きです。
王朝・王族間では 普通の事なんでしょうね^^;
韓国史劇は 奥が深い
まだまだ 知りたい事だらけですので
更新楽しみにしています!!!
「花郎世紀」の記述を信じる限り、王族同士の婚姻関係や親子関係は相当に入り組んでいます。
チヌン大帝の子孫に関しても、皇后(正室)との間にできた子供に側室たちの子供を加えると相当な人数になります。
阿陽(アヤン)公主はサド皇后(正室)との間に生まれた子供なので、その息子が舒玄(ソヒョン:ユシンの父)ということになるとわけがわかりませんね。ユシンはチヌン大帝のひ孫ということになってしまう。