
一世を風靡したクラッシュギャルズの人気で
女子プロレスが活況を呈していた、1986年。
新たな団体として『ジャパン女子プロレス』が旗揚げしました。

「プロレス版おニャン子クラブ」をコンセプトに
芸能事務所のボンド企画が関わり、秋元康さんがアドバイザーとして、
リングネームを考案したりしていました。
学校の帰りにチケットが余っているからと誘われて、
旗揚げ間もないジャパン女子プロレスを見に行きました。
(86年10月7日 格闘女神伝説PART2の開幕戦です)
場所は1万人以上収容する大阪城ホール!

(どう考えても広すぎますが)
あんまり予備知識のないまま、会場に到着。
とりあえずパンフレットを買って勉強。

ジャッキー佐藤、ナンシー久美の全日本女子プロレス引退組と
柔道の神取忍、シュートボクシングの風間ルミが四天王に君臨し、
あとは入門間もない若手という図式でした。

どの子が可愛いか、友だちと言い合って、みんなの意見が一致したのが、
キューティー鈴木でした。

試合開始前にリングサイドへ練習を見に行き、キューティーを探したところ、
どう見てもそこらの可愛い女の子にしか見えない、キューティーを発見。
(当時、まだ15、6歳ですね)
こっちを向いてくれないかと思い、「キューティー!」って呼び掛けたら、
「ん?」ときょとんとした顔でふり向いたキューティー鈴木の可愛いコト。
ダメもとで「握手して」って言ってみたら、トコトコトコと寄ってきて
握手をしてくれました。
とてもプロレスラーとは思えない、小さくて柔らかい手でした。
キューティーの可愛さに、一緒に居た友人みんなやられてしまい
全員大ファンに。応援にも熱が入りました。

(この日の試合は、尾崎魔弓と組んで、
ダーティー大和、ビッキー・カランサとの30分1本勝負)
その後のキューティー鈴木の活躍ぶりは、周知の通り。


テレビや雑誌などで見かけるたびに、あどけない笑顔を思い出します。
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