「須田修氏遺品寄贈の記録」
高槻成紀・金子倫子
麻布大学雑誌
論文ではありませんが、「須田修氏遺品寄贈の記録」を書きました。これは麻布大学の明治時代の卒業生である須田修氏の遺品をお孫さんの金子倫子様が寄贈されたことを機に、寄贈品について私とやりとりをしたことを含め紹介したものです。麻布大学は昭和20年に米軍の空襲により学舎を消失したので、戦前の資料は貴重です。それを博物館ではありがたくお受けしたのですが、それに添えるように2つの興味ふかいものがありました。ひとつは「赤城産馬會社設立願」で、須田氏のご尊父が群馬県の農民の貧困さを憂え、牧場を作ることを群馬県に提出したものです。その文章がすばらしく、文末に当時の群馬県令揖取素彦の直筆サインがありました。また「夢馬記」という読み物があり、これは須田氏が誰かから借りて書き写したもののようです。内容を読むと、ある日、馬の専門家がうたた寝をしていたら、夢に馬が現れて「最近、日本馬は品質が悪くてよろしくないから品種改良をせよという声が大きいが、そういうことをいうものは馬のことを知らず、その扱いも知らないでいて、この馬はダメだといってひどい扱いをする。改良すべきは馬ではなく騎手のほうだ」といって立ち去った。目が覚めたら月が出ていた、というたいへん面白いものでした。こうした遺品についてのやりとりをしたので、金子様にも共著者になっていただきました。


牧場設立願いに書かれた揖取群馬県令のサイン
Mammal Study」が産声をあげた頃
『哺乳類科学』57: 135-138
日本哺乳類学会はMammal Studyという英文誌を刊行していますが、これは20年前にスタートしました。この雑誌は今や国際誌となり、質も向上し、たくさんの論文が世界中から寄せられ、きびしい査読を受けるようになりましたが、かつてはそうではありませんでした。最初のときに私が編集委員長をしたのですが、今年20周年を迎えるので、現在の編集委員長が当時の思い出などを書いてほしいということで依頼がありました。思い出しながら当時のようすを書くとともに、古い文献などもひもといて学会の先人の志なども紹介しました。
その一例です。
「哺乳類科学」の創刊号をひもとくと,九州大学の平岩馨邦先生が若手研究者に次のようなことばを贈っておられる(平岩 1961)。曰く「”Keep the fire burning”私たちのともした。いと小さい火を若いみなさんで、もりたてて大きく燃やして頂きたいものである」.
最後につぎのようにまとめました。
内田先生が「老いも若きも一致協力して邁進しようではありませんか」と呼びかけられたことが、こうした時代の流れとともに学会の実質的な体力を蓄えることにつながったと思う。ネズミの研究が主体であった我が国の哺乳類学は中型、大型の哺乳類も対象とするようになり、生態学や形態学、遺伝学などもカバーするようになってバランスもよくなってきたし、野生動物管理などの面も力をつけてきた(高槻 2008)。こうして学会という木が育つための土壌に栄養が蓄積し、水も光も得て力強く育ってきた。これにはよきリーダー、コミュニケーション手段の進歩、制度の改革なども大いに力になったが、しかし私は「このおもしろい哺乳類学を進める学会をよいものにしたい」という会員の情熱がそれを実現したのだと思う。まさに半世紀以上前に平岩先生が点(とも)された「いと小さい火」が大きな炎に育ったとみてよいだろう。
高槻成紀・金子倫子
麻布大学雑誌
論文ではありませんが、「須田修氏遺品寄贈の記録」を書きました。これは麻布大学の明治時代の卒業生である須田修氏の遺品をお孫さんの金子倫子様が寄贈されたことを機に、寄贈品について私とやりとりをしたことを含め紹介したものです。麻布大学は昭和20年に米軍の空襲により学舎を消失したので、戦前の資料は貴重です。それを博物館ではありがたくお受けしたのですが、それに添えるように2つの興味ふかいものがありました。ひとつは「赤城産馬會社設立願」で、須田氏のご尊父が群馬県の農民の貧困さを憂え、牧場を作ることを群馬県に提出したものです。その文章がすばらしく、文末に当時の群馬県令揖取素彦の直筆サインがありました。また「夢馬記」という読み物があり、これは須田氏が誰かから借りて書き写したもののようです。内容を読むと、ある日、馬の専門家がうたた寝をしていたら、夢に馬が現れて「最近、日本馬は品質が悪くてよろしくないから品種改良をせよという声が大きいが、そういうことをいうものは馬のことを知らず、その扱いも知らないでいて、この馬はダメだといってひどい扱いをする。改良すべきは馬ではなく騎手のほうだ」といって立ち去った。目が覚めたら月が出ていた、というたいへん面白いものでした。こうした遺品についてのやりとりをしたので、金子様にも共著者になっていただきました。


牧場設立願いに書かれた揖取群馬県令のサイン
Mammal Study」が産声をあげた頃
『哺乳類科学』57: 135-138
日本哺乳類学会はMammal Studyという英文誌を刊行していますが、これは20年前にスタートしました。この雑誌は今や国際誌となり、質も向上し、たくさんの論文が世界中から寄せられ、きびしい査読を受けるようになりましたが、かつてはそうではありませんでした。最初のときに私が編集委員長をしたのですが、今年20周年を迎えるので、現在の編集委員長が当時の思い出などを書いてほしいということで依頼がありました。思い出しながら当時のようすを書くとともに、古い文献などもひもといて学会の先人の志なども紹介しました。
その一例です。
「哺乳類科学」の創刊号をひもとくと,九州大学の平岩馨邦先生が若手研究者に次のようなことばを贈っておられる(平岩 1961)。曰く「”Keep the fire burning”私たちのともした。いと小さい火を若いみなさんで、もりたてて大きく燃やして頂きたいものである」.
最後につぎのようにまとめました。
内田先生が「老いも若きも一致協力して邁進しようではありませんか」と呼びかけられたことが、こうした時代の流れとともに学会の実質的な体力を蓄えることにつながったと思う。ネズミの研究が主体であった我が国の哺乳類学は中型、大型の哺乳類も対象とするようになり、生態学や形態学、遺伝学などもカバーするようになってバランスもよくなってきたし、野生動物管理などの面も力をつけてきた(高槻 2008)。こうして学会という木が育つための土壌に栄養が蓄積し、水も光も得て力強く育ってきた。これにはよきリーダー、コミュニケーション手段の進歩、制度の改革なども大いに力になったが、しかし私は「このおもしろい哺乳類学を進める学会をよいものにしたい」という会員の情熱がそれを実現したのだと思う。まさに半世紀以上前に平岩先生が点(とも)された「いと小さい火」が大きな炎に育ったとみてよいだろう。
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