木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

幕末のさる大名家の「御献立帳」

2011年06月04日 | 江戸の味
雄山閣「日本の食文化 十巻」で宮腰松子さんが興味深い研究を発表されている。
幕末のさる大名家の「御献立帳」という内容で、慶応二年、三河半原藩主・安部摂津守信発が江戸上屋敷で何を食べていたかの記録を集計したものである。
摂津守は、二万二百五十石取。大名としては小身であり、武士の家計が逼迫していた幕末の記録、という点を差し引いても、かなり質素である。
朝は一汁一菜、昼は汁なし二菜、夜は汁なし一菜が中心となっている。
具体的に見てみると
(朝)大根と油揚げの御汁、ごぼう(昼)くわいと焼き豆腐、厚焼き玉子わさび添え(夜)本海老鬼がら焼き、若鮎、御酒(二月一日)
などとあり、それなりに良さそうな気もするが、
(朝)里芋の御汁、こんにゃく(昼)うど、せん玉子(夜)平目、竹の子、御酒(二月十三日)
(朝)里芋の御汁、こんにゃく(昼)〆豆腐、くわい(夜)王余魚{カレイ}(二月二十四日)

などと更に質素な日も多い。
宮腰さんは、どのような食材が何回使われたかを丹念に集計されている。
それによると、1年間に魚類が368回、鶏や卵、加工食品が307回、野菜類が621回となっている。
朝昼夕のうち、一回は魚が出て、あとの二回は野菜と玉子などが出た計算になる。
魚のベスト5は、車海老(73)、まぐろ(35)、かれい(24)、芝海老(19)、たい(18)である(カッコ内は一年間で使用された回数)。
車海老や鯛、カレイなどはそれなりに高級っぽいが、まぐろは江戸時代は下賎な魚であったという説があっただけに、回数が多いのは意外だった。
大衆魚であるイワシはさすがに食卓に上っていないが、アジは8回食されている。高価な魚と言われたカツオは3回(4月、7月、10月)食べられている。
牛、豚はもちろん口にされず、肉類としては、鶏7回、カモ8回、シャモ16回が食べられたに過ぎない。
その分、玉子は使用量が多く180回。
野菜類としては、大根(104)、ごぼう(74)、長いも(53)、里芋(52)、サツマイモ(51)、くわい(51)、みつば(33)、ゆり(23)などの使用が目立つ。
逆に、にんじん(1)、きゅうり(5)、なす(8)、ねぎ(0)などの使用は少ない。
あと、面白いのは飲酒で、昼に御酒がついたのは63回、夜は187回とある。
夜は二日に一遍の飲酒となっていたのは分かるが、昼も6日に一回くらいは飲酒していたことになる。
あと、精進日というのが月に何回かあって、この日は魚や肉類は食べられなくなる。

では、ハレの日の食卓はどうであったか。
11月19日の誕生日の昼食の記録がある。

1.(御汁)   アオサ入り御汁
2.(御猪口)  貝柱、海苔
3.(御平)   せり、はまぐり、長いも、麩、しいたけ
4.(御香物)  御香物
5.(二の汁)  さよりとみつばのお吸い物
6.(御八寸)  御刺身
7.(その他)  御赤飯、御銚子


とあり、それなりに豪華である。

しかし、豪華なのはごく一部の日だけであって、残りの日は現代の感覚からすると、驚くほど質素であった。

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