江戸時代、町民は四季折々の行事を楽しみにしていた。いつでも時期でない野菜が食べられる現代と違って、春には春の、夏には夏の、秋には秋の野菜や食べ物があり、さまざまな行事があった。3月3日には「汐干」といって各地で潮干狩りが行われた。『東京歳時記』によると「芝浦・高輪・品川沖・佃島沖・深川洲崎・中川の沖、早朝から船に乗り沖に出て、潮が引いた頃から海岸に降りてカキ・蛤を拾い、ヒラメや小魚を獲って宴を開く」とある。蛤・カキにヒラメとは何とも豪華で、江戸市民ならずとも是非行ってみたくなる。また、この辺りは風光明媚なところで、眺望のよさでも人気があった。元禄3年(1700年)頃、5代将軍徳川綱吉の発願という洲崎弁財天が建立され、江戸名所となる。現在のザル蕎麦、蕎麦をざるに盛って提供するスタイルはこのころはまだ定着していなかったが、「洲崎のザル蕎麦」というものが有名となる。しかし、寛政3年8月、9月に高波が発生し、三百軒の民家が流され、多くの死傷者を出した。この事件により、洲崎人気は陰りがさしたものの、江戸名所としての地位は揺るがなかった。
深川資料館~資料館ノート参考
洲崎神社
深川資料館~資料館ノート参考
洲崎神社
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