木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

「悪女」と「誕生」

2010年04月20日 | 日常雑感
中島みゆきのヒット曲に「悪女」という歌がある。
冒頭では、

マリコの部屋へ電話を掛けて
男と遊んでる芝居続けてきたけれど
あの娘もわりと忙しいようで
そうそうつき合わせてもいられない


二番では、

女のつけぬコロンを買って
深夜の茶店の鏡でうなじにつけたなら
夜明けを待って一番電車
凍えて帰ればわざと捨て台詞


なぜこの歌の主人公がそんなことをするかというと、次の歌詞から理由が分かる。

涙も捨てて
情けも捨てて
あなたが早くわたしに愛想を尽かすまで
あなたの隠すあの娘のもとへ
あなたを早く渡してしまうまで


しかし、主人公の本音は違う。

悪女になるなら月夜はおよしよ
素直になり過ぎる
隠しておいた言葉がほろりこぼれてしまう
「行かないで」


どんな事情がこの二人にあるのかは分からない。
なぜ主人公は面と向かって「行かないで」と言えないのだろうか。

意地なのか。
諦めなのか。
自尊心なのか。

客観的に見ると、主人公の愚かさがよく分かる。
だが、自分のこととなると、途端に景色が見えなくなる。

綾小路きみまろの漫談に、
「お父さんはいいわよねえ。毎日外でおいしいものを食べて来られて」
と夫の前で飼い猫に話す主婦が登場する。

間接話法である。
こういう態度をとれば、相手も分かるだろうという甘えもある。
確かに嫌味なことを言っても、意味は通じる。
釣銭を間違えたレジ係がいたとして、
「間違っているから50円返して」といえばいいところを「計算もできないのか」と言えば角が立つ。
時に喧嘩になるかも知れない。
でも、自分もついつい、角の立つ言い方をしてしまう。
自分の心を直接話法で素直に話すには勇気がいるから、間接的な言い方でごまかしてしまう。

「悪女」の主人公は自らの行動に縛られて、自分でもどうしたいのか分からなくなってしまっている。
本当に「行かないで」と思うのだったら、自分の心の思いを吐露するべきではないだろうか。
結果は必ずしも上手くいくとは限らない。
相手にも拒絶する権利がある。辛い話だ。でも拒絶されても死にはしない。
本当のところ、自分以外に自分を無条件で肯定してくれる者はいない。
誰かに肯定されることによってのみ、自分の立ち位置を見つけられないのでは、いつかは破綻する。

僕自身も含めて、人は弱い。
それでも、究極的には人は一人だという厳しい現実を認識しなくてはならない。
ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。
争っても一生。
愛しても一生。
ひねくれて生きるには一生は短すぎる。

中島みゆきに「誕生」という歌もある。

ひとりでもわたしは生きられるけど
でもだれかとならば人生は遥かに違う


自分で自分を認めることの大事さを教えてくれる歌だ。
生きるとは苦しいことが多いのも事実。
これから始まる苦労を予感してか、人は誰も泣きながら生まれる。
自分を認め、べたつかない心で相手を認める。そんなことができたら、人生卒業の際は、笑って迎えられるかも知れない。

中島みゆき「悪女」

中島みゆき「誕生」

鈴木君代「誕生」(お坊さんです。この人カバーも素晴らしい)

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2 コメント

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Unknown (照姫)
2010-04-20 23:31:17
私は上手な言い回し、それとなく伝える、小細工、、、等々が全くできず、ほんのちょっぴり我慢はしても結局言いたいことをぶちまけては後悔すると言う人生を送ってきました。
そしてアラフォー世代のシングルだというのに
いまだに「独りの寂しさ」が分からない情緒に乏しい性格です。
それだけに中島みゆきの歌の本当の良さがまだ分からないのかもしれないと思いながらブログを読みました。
おばちゃんにはどんどん近づいているのに大人の女性にはなりきれないなんて・・・(涙)
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Unknown (木村春介)
2010-04-21 01:12:32
照姫さま、コメントありがとうございます。
コメントして頂いた内容にすごく共感します。
僕も「あいつだったら言うよな」ってキャラクターです。今も基本的には変わっていません。独りの寂しさ、なんて幻影かもしれないし、中島みゆきの歌をみんなして、「いいねえ、これ」なんて語っているのはとても変てこなこと。
今回のブログは、「間接話法をやめて、直接話法を使おう」というのがテーマで書いたのですが、中島みゆき賛美のようになってしまったのであればすみません。舌足らずな点はまた書かせていただきます。
照姫さんは、そのままで十分に魅力的な人間ですよ。

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