今は昔 僕は大阪にいた。
そこは大阪市の使用していない清掃局の詰め所だった。
備品はなにもないロッカーだけは残っていた。
ロッカー室に銀マットを敷いてそこが寝室だった。
夜昼を問わず、余震がロッカーをガタガタ動かした。
思ったのは、余震でロッカーの下敷になるのは御免だった。
僕らが担当したのは西宮だった。
そこは大火事の跡、経験した事はないが。
もしかしたら空襲があるとこうなるのかと思った。
そんな焼け跡の街だった。 担当したのは避難所のビン・カンを収集する仕事だった。
車は普通のパッカー車、ゴミをプレスして回収していく。
ゴミは圧倒的にガス缶が多かった、しかも穴も開けていない。
パッカー車というのは回収したゴミを押しつぶしプレスする。
そしてタンクに入っていく。
その圧縮、プレス時に金属があると摩擦で火花が・・・・ 収集が終わり、圧縮されたガス缶が爆発、後ろは、炎に包まれた。
そして仮の捨場まで往復二時間かかった。
市街地を抜けるのに電線や瓦礫、柱を退かしたり持ち上げるのが主な仕事になった。
西宮は初めての街、地元の作業員が一人乗って道案内をしてくれた
。 彼は、関西人の気質だろうか、僕に気を使ってだろうか?
いや~ひどいもんでしたわ~ 揺れがおさまって、冷蔵庫を開けたら、皿や食器が入ってましたん。
でな、向かいの食器棚に冷蔵庫の中身がごっそり入ってるやないですか。
地震で、両方の戸が開いて。 入れ替ったんやな~~、
はっはは。 ここツッコむとこですぜ~
すごく笑って、すごく悲しかった。