さて前回の続き
う~ん朝から写真がボケボケだあ。
林道終点まで歩き浅間原へ向かう!
いきなり金属橋を渡る。
4.5本 沢を渡る。
ここは、右を行く。これは鉄塔の巡視路だね。
安倍奥東山稜には標高1100m~1200m に横道が存在する、仕事場の先輩に鉄砲打ちをやる人がいて、教えてもらった。確かに関の沢のツメは、たいがいその横道を使った。青笹周辺はいかがなものかと?と歩いた事があったがガレが発達して、危険だった。
此処は巡視路だから、しっかりしている。鉄塔までは、ね・・・・
浅間原には二本の送電線があり、北側の鉄塔に出た。
湯の岳、第二真富士、第一真富士。
お、!!なんか変なもの。発見!!
送電線 系の、碍子かな??
浅間原に到著。
展望は良し^ー^
駿河湾、伊豆。海。。
夏富士
愛鷹連峰。
前回、青笹から浅間原は笹ヤブがきつかった。
浅間原からはヤブがキツイだろうと覚悟していたのだが。
ファンタの缶の指導標を後に、ヤブに突っ込むのだ。
ありゃ、
伐採してある。
こちら側は誰かが管理しているんだね。
樹間からの湯の岳。
そして、その手前でそれは、あった。
焚き火の後、
自分も焚き火をするので解るけど、最近のもの
それも、尾根上ではこの後始末は無いでしょ。
で、差し掛け小屋。
熊笹の色からして、最近のもの
これは、誰かが此処で寝たんだね。
まあ、それはいいんだけど。登山道のど真ん中ってどうよ。
ななめに倒れた倒木に差し掛けた木それに被せた木・・・・・・・・・・
一瞬、山の民の跡かと思ったけど、これは違うな。
僕は山で暮らす人々にに興味がある、というか自分もいつか、その端くれで有りたいと思っている。
マタギ、山菜採り、キノコ採り、山師、山窩。
そう、山窩 山そのものに暮らす彼らの生き様は、数少ない記録しかない。
今は昔、
僕の家から一番近い一等三角点、竜爪に行った時のことだ。
表参道は人が多い、いつも僕は則沢から登る。いつもように則沢の公園に車を止め林道を詰めた。道白堂をすぎると、林道のどん詰まり、季節は初秋だった。そこで二人の人と出遭った。二人はノミのようなもので何かを作っていた。なにか不思議な風景にちょっと、唖然としたので、間があったけど、コンチワと挨拶した。二人は作業の手を止め、軽く会釈してくれた。しかしこれ以上は、コミニュケーション取りませんオーラが、伝わって来た。
で、僕は不思議な出会いを感じながら、登山道に入って行った。
彼らはとても、よく似ていて、双子のようだった。周りにはいくつかの道具が置かれ焚き火のあともあった。もしかしたら彼らは今でも山から山へと渡り歩く山窩と、なにか関わりのある人なのでは、なかろうか?・・・・・・・・・・・・・
山窩。
僕はこの人達の事を詳しく知っているわけではない、初めて興味を持ったののは五木寛之の「戒厳令の夜」という本だった。四人のパブロが織りなす不思議な関係そして第二次大戦に運ばれた美術品が九州の炭鉱にある、その争奪戦。古代日本からある海人、山人、そして今尚生き続ける山窩が物語に絡んでいく。山窩独自の伝流の文化、人脈。これは今でも、あるんじゃないか、僕はあると思っている。
その他にも同じく五木寛之の「風の王国」大和は二上山、疾風歩にて歩行する女と出逢う主人公、その女性は、二上講「へんろう会」山窩の末裔たちの物語。
映画では、「瀬降り物語」せぶりとは、山窩たちの使うテントの名。山窩達の生活、風習を描く。
竜爪で遭った人たちは、その人達に関わりのある人達であるまいか?
今、山窩の人達は現代社会に溶け込み、姿を現さない。
しかし、昔からの伝統文化は守っていると聞いた・・・・・
そして、山小屋を管理する人達、山で出会う登山愛好家以外の人達は、もしかしたら山窩の血脈を持っていいる人達では無いのか。
垣間見る深い知識に僕は驚愕し、リスペクトするのだ。
また、何処かで自然との関わりを本当に知る者と、出会いたいと。
あまり人がこない山をとウロウロしているのだが・・・・・・・・・・・・・
僕が行っている山登りではなく。
真逆に意外と里に近い山に、今でもかれらは、生きているのかもしれぬ。
長くなった。
またして、続くのだよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8.18.19. 2018