きのう 二女みちと 天然酵母のパンを買いに行きました。
「パンののはら おはようナーム」さんです。
小さな孫がいたので お店の写真が撮れなかったのが残念ですけど
古民家をリノベーションした とっても素敵なお店でした。
今度一人で行って 美味しい珈琲とともに カフェコーナーで
ゆっくり味わいたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/5c/01b3016089f841db9f0015f502c0e0c8.jpg?1569102651)
いろいろ買って帰ったのですけど とくにこの
コッペパンの姿には まいりました。
昔の学校給食のコッペパンも こんな姿でした。
ぼそぼそして嫌いだったという人も多いけど
わたしは 脱脂粉乳のミルクとともに出てくるコッペパン
それほど嫌いではなかったです。
だめだったのは おかずで 特に野菜の煮物のようで
スープのようなもの…
かす汁などでたときは 涙と吐き気が・・・・😢
放課後まで残って 食べきるまで帰れなかった
つらい思い出があります。
そんなことを思い出しながら 美味しいコッペパンに
マーガリンを塗って きゅうりとハムを挟んでいただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/07/53adc1b79798277468140a7a5e20b743.jpg)
おともは 手づくり カスピ海ヨーグルトです。
手づくりの 白桃のコンポートと リンゴの甘煮をのせています。
塩味が効いた お店の菓子パンとも食パンとも違って美味しいと思ってました。
ただ食が細かったので、食べきれず持ち帰る(パンは持ち帰れた)と 祖母が喜んで
一度、作ってるパン屋さんに買いに行ったら、余分は作れないのだって断られたそうです。
別に同じものを作るほど需要は無かったのでしょうね。
私も脱脂粉乳とかは焦げ臭いと思いつつもそれなりに飲んでました
パンだってたまに藁が入ってるからそうだったら言えよと
先生が言われるほどの物でしたが平気でした
私も好き嫌いが多く食も細かったのでカレーとか喉を通りませんでした
残すと怒られるのでそっとその器の上に小さな器を載せて隠して家に持って帰りましたが
当然その包みの布がぼとぼとで母に怒られてました^^;
神戸のは本当にまずかったけれど 高槻市の給食のおいしかった事!
これほど市町村に差があるとは!
私もパンを残したことがありません
学校へ通う道にパン屋さんがあって
そこから流れてくるいい匂いがたまりませんでした
え~そのころも給食で残されるなんてことがあったんですか
あれはつらいですよね
脱脂粉乳のミルクに浸したりして食べていました
懐かしいですね
カスピ海ヨーグルト 白桃のコンポート リンゴの甘煮
全て手作りですね 素晴らしい~
懐かしいですね
素朴な味わい
お供のヨーグルトがおいしそうです
カスピ海ヨーグルト、手つくりで15年以上作り続けています。リンゴの甘煮やってみよう。
懐かしい
私の実家の町内に個人のパン屋さんがありました
学校にもこのコッペパンを卸していましたね
同級生を朝迎えに行くと、辻の手前から美味しいパンの香が
懐かしい味香りです
ワタシも 大がつくほど 苦手でした
パンは 残して持ち帰れたので
先生に見つからないように
コッペパンの中身をくり抜いて食べ
その中に 汁気を切ったおかずを詰めて持ち帰りしていました
主人も 先生が目の前に座り お昼休みも無く食べていたようですよ
ワタシも そんなお店行ってみたいなぁ~
食べるのが苦手なものが多かったです。
パンは持ち帰れましたが パンだけは食べることができた(笑)
おばあちゃん タカコちゃんに 何とか食べてほしくて 苦心していたのでしょうね。
そんなことも当たり前の時代ではありましたが。
持ち帰った汁物でどぼどぼ(笑)
うちの長女も すごく食が細くて 小学1年生になったばかりのころ
苦手なプリンを 一つまるごと ティッシュに包んで カバンに入れて
帰ってきたことがありました。
見事にドロドロで 教科書がみんなくっついて つらい一年間でしたよ。
給食は 作る学校やセンターによっても違うのかな。
わたしも中学校に入って 新築の学校で 給食室も市内の学校から見学が絶えないほどの設備で
すごく給食がおいしかったので それから何でも 残さず食べられるようになりました。