トルコ大統領府通信局のファフレッティン・アルトゥン局長はツイッターに、「風刺画の出版によって、異文化差別と憎悪を広めようとする、この極めて不快な試みを非難する」と投稿。「エマニュエル・マクロン仏大統領の反イスラム政策は、実を結んでいる! シャルリー・エブド紙は風刺画と称して、わが国の大統領を描いたとされる卑劣さあふれる絵を掲載した」と非難した。

 28日付のシャルリー紙最新号の表紙には、Tシャツに下半身下着だけのエルドアン大統領が缶ビールを飲みながら、ヒジャブをかぶった女性のスカートをめくり下着をつけていない尻をあらわにしている絵が描かれ、吹き出しの中には「おお、預言者よ!」というせりふが書かれている。「エルドアン:プライベートはとても面白い」というのが、絵のタイトルだ。

 仏パリ郊外で今月、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を学校の授業で見せた歴史教師サミュエル・パティさんが、イスラム過激派とみられる人物に首を切断され殺害された事件以降、トルコのエルドアン大統領、フランスのマクロン大統領、さらに欧州各国の指導者らが繰り広げている舌戦が激化している。

 マクロン氏は預言者ムハンマドの風刺画を擁護し、フランスは世俗的な伝統と言論の自由を保証する法律を断固貫くと宣言しており、そうした発言を支えにシャルリー紙のような極めて反宗教的な出版物はムハンマドの風刺を続けている。

 しかし、イスラム教徒が多数を占める国々では先週末、マクロン氏の発言への反発から抗議デモが相次いで発生した。

 27日に過去最大のデモが行われたバングラデシュの首都ダッカでは、参加者らがフランス製品のボイコットを呼び掛けるスローガンを連呼。

 国立モスク(イスラム寺院)のバイトゥル・ムカラムで抗議集会に参加していたイスラム政党「イスラミ・アンドロン・バングラデシュ」の幹部アタウル・ラーマン氏は、「マクロン氏は悪魔を崇拝する数少ない指導者だ」と語り、政府はフランス大使を「追い出す」べきだと主張した。

 またデモの指導者の一人、ハサン・ジャマル氏は、フランス大使が国外退去を命じられなかった場合は、フランス大使館の「すべてのれんがを引き剥がす」と語った。さらにデモの若手リーダー、ネサル・ウディン氏は、「フランスはイスラム教徒の敵だ」「フランスを代表する人間もわれわれの敵だ」と述べた。 【翻訳編集】AFPBB News

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自由って何ですか。

自由だと言って、何をしても許されるのですか。

見下し、からかい、嘲笑う。。。

そんな発想での風刺画なら必要ありません。

そんな風刺画を描く人を軽蔑します。

 

フランスの風刺画文化は歴史があるそうです。

日本にもそのような文化もあるでしょうが、人を貶めたり見下ししたような絵を描けば書いた人がバカにされ軽蔑されるでしょう。

今回の事件の発端になった風刺画はイスラム教信者を見下しているとしか思えません。

 

イスラム教にとって大事なものは何かをフランス人は知っている筈です。

教える側の教師ならそれは十分理解していなくてはなりません。

また大統領は移民を受け入れる政策を取っているのですからイスラム教について理解しておくべきです。

にも拘らず、マクロン大統領は軽率すぎませんか。

 

授業でイスラム教を貶める風刺画を生徒に見せ示し、これが表現の自由だと生徒たちに教えた中学教師は

イスラム系の親や知り合いはどう思うのかを想像も出来ず殺害されました。

勿論、殺害に及んだ犯人が一番悪いです。

しかし表現の自由を教える為の風刺画の選択を誤った中学教師に、

その被害者を擁護した上に国葬にし、表現の自由を守ると宣言した大統領は軽率です。

 

大統領ならこの事件の収拾を図り、国民を平穏な生活に戻す為に努力するべきです。

それを怠った為に、シャルリー紙はトルコのエルドアン大統領の風刺画を表紙にする始末。

火に油を注ぐとはこういう事です。

 

移民の受け入れは労働力確保や難民を助ける意味もあるでしょうが、

移民を受け入れるからにはそれなりの覚悟が必要です。

移民には自国の文化を理解させ、自国民には移民の文化を理解させてこその政策です。

 

日本でも労働力確保の為に外国の人達の手を借りています。

近い将来移民政策を取る様ですが、それなりの覚悟も必要ですし、

昨今の外国人による家畜や農作物の窃盗事件を見るにつけ、

移民政策は慎重であり、それに対処する厳しい法整備も必要だと思います。

 

フランスの残虐な事件発生後、表現の自由って何かをずっと考えていました。

表現の自由、言論の自由。。。。

自由は保障されるべきですが、誰かを貶め、見下す目的なら自由は許すべきではないと思います。