十年程しか稽古をしていなかった空手なので、空手を大上段に語るつもりはありませんが、僕には空手が自分の人生において大きな影響を与えたと感じております。
あの空手の厳しい稽古の事を思えば少々の事では驚かないし、今までの人生の苦難に対しても、いろんな場面で空手の厳しい稽古を耐え抜いた自信の様なもので乗り越えて来ました。
ぼくが得意だった技は上段逆突きと中断前蹴りのオーソドックスなモノでしたが、今でも通用するんじゃあないかと錯覚に陥る事もあります。
しかし実際はその技は使えない事は分かりますが、今は裏拳等の小さ技なら瞬間的には使えるんじゃあないかと考え、時々その練習の真似ごとをしています。
空手の技も年齢においてその内容が変わってきますが、自分の生きる姿も空手の技と同じで、やはり変わった方が良いのかもしれません。
変わらざるを得ないのかも知れませんが、僕自身の中では、自分を変えたくないと思う心があるのも事実です。
それは可笑しなことですが、そう思うのが僕自身なんだから仕方ありません。
後ろ足ので相手の拳を払いながら飛び上がり、空中で一回転したその反対の足で相手の顎に攻撃をして気絶させた頃の自分が懐かしい。
空手を習う者は、武士なのだと故金城先生に教わりました。
あの空手の厳しい稽古の事を思えば少々の事では驚かないし、今までの人生の苦難に対しても、いろんな場面で空手の厳しい稽古を耐え抜いた自信の様なもので乗り越えて来ました。
ぼくが得意だった技は上段逆突きと中断前蹴りのオーソドックスなモノでしたが、今でも通用するんじゃあないかと錯覚に陥る事もあります。
しかし実際はその技は使えない事は分かりますが、今は裏拳等の小さ技なら瞬間的には使えるんじゃあないかと考え、時々その練習の真似ごとをしています。
空手の技も年齢においてその内容が変わってきますが、自分の生きる姿も空手の技と同じで、やはり変わった方が良いのかもしれません。
変わらざるを得ないのかも知れませんが、僕自身の中では、自分を変えたくないと思う心があるのも事実です。
それは可笑しなことですが、そう思うのが僕自身なんだから仕方ありません。
後ろ足ので相手の拳を払いながら飛び上がり、空中で一回転したその反対の足で相手の顎に攻撃をして気絶させた頃の自分が懐かしい。
空手を習う者は、武士なのだと故金城先生に教わりました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます