たーさんの世界(意地悪じーさん)

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昔のお話し

2018年09月20日 | Weblog
昔の話を読んでも何の得にもなりませんが、僕が子供の頃の話をしてみたいと思います。

昭和三十年の前半頃は、アイスキャンディ屋さんが、自転車の荷台にアイスボックスを乗せ、チリンチリンと涼しげな鈴を鳴らして売りに来ました。

当時は、アイスキャンディは一本五円でした。

あんパンは10円、ラーメンは一杯50円、子供の電車の初乗り料金は5円、風船ガムは5円でした。

また、田舎の子供のおやつは店で買ったモノは殆んど無く、母親が作ってくれた蒸しパンやお焼き、牛乳は高級品でしたからヤギの乳(香ばしくて好きだった)、肉は家で飼っていた鶏やウサギの肉でしたので、豚肉はカレーに入っていた細切れ肉、牛肉は食べた事がありませんでした。

味噌やウドンは家で作ったモノを食べたし、きな粉は石臼で挽いて食べました。

水泳は褌でしたし、スケートは下駄スケート、オモチャは殆んど買って貰えなかったので、ゴム鉄砲や弓や刀やパチンコ等は自分達で作りました。

川原では泳いだり、飯盒炊飯をしたり、魚を捕ったりしたし、山では秘密基地を作ったり、栗やアケビを採ったり出来る、自然の遊園地でした。

遊んでいてお腹が空くと、道端に生えている草を食べて、腹の足しにもしていました。(昔の子供は食べれる草を知っていた)






言霊

2018年09月20日 | Weblog
歌手で努力家の小林幸子さんは、ドサ回り時代に
『来年は私、レコード大賞と紅白の両方で出てやるから』と言って、楽屋のダンサーは勿論、本人も大笑いしたのですが、何と其が翌年に実現したと週刊誌に書いてありました。

僕もこのブログで、【70歳でトラバーユする】と宣言します。

頑張っている人が必ず言う言葉は【夢を無くしたらおしまい】ですが、僕は釜に入る迄夢を追い続けます。

そしてトラバーユした暁には、ホンダモンキーを買います。

今までのW650は、東北に行っていた時、たまに帰りバイクを磨こうとすると錆が目に入る様になり、たまらなく寂しくなって泣く泣く手放しました。

しかしバイクの夢は未だ捨てていませんから。

死に方

2018年09月20日 | Weblog
六十代の僕が自分の死に方を考えるのは時期尚早ですが、しかし今からボツボツ考える事は、決して早すぎるとは思いません。

人は生まれたからには、誰もが命を全うする運命に有ります。

いろんな終末の迎え方が有りますが、親父みたいに桜の満開の季節に人生を終える、子供としては自分の親父の死に方を誇りに思うえるし、お袋は大好きな市田の花火に見送られて逝きましたが、これも僕には、如何にもお袋らしい人生の閉じ方だと思います。

両親は生きる事に真面目に向かい合いましたが、両親の人生の閉じ方は、きっとご先祖様や仏様からの思いやりだったなのかも知れないと思います。

先日亡くなった叔父も、93歳で大して苦しむ事もなく旅立ちました。

僕はやはり自分らしく逝きたいので、其までは精一杯に自分らしく生きて行きます。