清滝や浪にちりなき夏の月 芭 蕉
――昨日の変人訳、『去来抄』の原文に忠実に口語訳したつもりだが、ご理解いただけたであろうか。当の変人が読み返しても、腑に落ちない点がいくつかあるのだから……。
それにしてもこの一条、少々やっかいである。同じエピソードを伝える支考の『笈日記』と、内容が大幅に違うのである。去来が意図的に仕組んだものか、あるいは去来の筆不足とも考えられる。
一番の問題点である箇所の原文を見てみよう。
「過ぎし比(ころ)の句に似たれば、清滝の句を案じかへたり」
「過ぎし比の句」と「清滝の句」が明示されていないため、文意が明らかでないのだ。
もう一点。「清滝や」の定稿は、「清滝や波に散り込む青松葉」であるのに、それを『去来抄』に掲げていないことは、決定的な不備、あるいはミスといってよい。それどころか、『去来抄』の掲出句形、「清滝や浪にちりなき夏の月」が、最終句形、つまり定稿のごとき誤解を招くことになる。
思うに、「過ぎし比の句」というのは、「清滝や浪にちりなき夏の月」で、「清滝の句」は、定稿の「清滝や波に散り込む青松葉」を指すのであろう。すると、
先ごろ、「しら菊の目にたてて見る塵もなし」という句をつくったが、
これは以前つくった、「清滝や浪にちりなき夏の月」に似ているから、
「清滝や波に散り込む青松葉」と作り直した。(「しら菊」の句を改案
するわけにはいかないので)
ということで、理解可能になる。
去来がこの一条で伝えたかったのは、土芳の『三冊子』に見える芭蕉のことば「他の句より先(まず)、わが句に我が句等類する事をしらぬもの也」の、具体的検証ということであったであろう。「等類」というのは、俳諧などで、素材・趣向が他の句と類似すること、つまり、今でいう「類句・類想」である。
今日においても、このことは非常に重要なことである。私たちはふつう、他人の句との類似関係には、かなり神経質になるが、「自分の句との類似関係」に対しては、どうしても寛容になってしまう。自分が以前つくったのと似た句をまたつくってしまう、ということも少なくない。「いい表現」を思いつくと、つい繰り返し使いたくなる。これらは作者自身のマンネリズムにつながり、新しい詩の創造者になることはできない。
清滝や浪にちりなき夏の月 芭 蕉
しら菊の目にたてて見る塵もなし 芭 蕉
この二句、類句・類想であろうか。
芭蕉は、「塵なし」という部分が気になったのである。清らかで汚れのないさまを表すのに「塵なし」は、実に新鮮な表現である。しかし、新しさを求めつづける芭蕉は、自分の発見したものであっても、同じ表現をまた別のところで使うというのは、自分で自分が許せなかったのだ。
いい表現は一度だけ、最も効果のあるところで使う。これが芭蕉のやり方なのである。
「塵なし」は、白菊に使ってこそ効果があると、芭蕉は考えたのである。この句は、元禄七年九月二十七日、大坂の園女の家で歌仙の興行があった時の発句である。白菊は、庭かその席で目にしたものであろう。清楚な菊の美しさをたたえながら、園女の人柄や心づかいをほめた大切な挨拶吟なのである。だから、後続作品である「しら菊の」を残して、先行の「清滝や」を改案したのである。俳諧は、あくまで座の文芸であることを教えられる。
芸人の世界では、同じ芸を何度やっても喝采を受ける。だが、美術や文芸の世界では、同じことを何度もやると、やれ二番煎じだ、マンネリだといちゃもんをつけられる。そこがつらいところであるが、芸術の芸術たるゆえんだとも言える。
私たちは芸術院会員を目指すのではなく、芭蕉のように、詩人の精神を生きた人になりたいものである。
外すずめ何して遊ぶ冬の雨 季 己
――昨日の変人訳、『去来抄』の原文に忠実に口語訳したつもりだが、ご理解いただけたであろうか。当の変人が読み返しても、腑に落ちない点がいくつかあるのだから……。
それにしてもこの一条、少々やっかいである。同じエピソードを伝える支考の『笈日記』と、内容が大幅に違うのである。去来が意図的に仕組んだものか、あるいは去来の筆不足とも考えられる。
一番の問題点である箇所の原文を見てみよう。
「過ぎし比(ころ)の句に似たれば、清滝の句を案じかへたり」
「過ぎし比の句」と「清滝の句」が明示されていないため、文意が明らかでないのだ。
もう一点。「清滝や」の定稿は、「清滝や波に散り込む青松葉」であるのに、それを『去来抄』に掲げていないことは、決定的な不備、あるいはミスといってよい。それどころか、『去来抄』の掲出句形、「清滝や浪にちりなき夏の月」が、最終句形、つまり定稿のごとき誤解を招くことになる。
思うに、「過ぎし比の句」というのは、「清滝や浪にちりなき夏の月」で、「清滝の句」は、定稿の「清滝や波に散り込む青松葉」を指すのであろう。すると、
先ごろ、「しら菊の目にたてて見る塵もなし」という句をつくったが、
これは以前つくった、「清滝や浪にちりなき夏の月」に似ているから、
「清滝や波に散り込む青松葉」と作り直した。(「しら菊」の句を改案
するわけにはいかないので)
ということで、理解可能になる。
去来がこの一条で伝えたかったのは、土芳の『三冊子』に見える芭蕉のことば「他の句より先(まず)、わが句に我が句等類する事をしらぬもの也」の、具体的検証ということであったであろう。「等類」というのは、俳諧などで、素材・趣向が他の句と類似すること、つまり、今でいう「類句・類想」である。
今日においても、このことは非常に重要なことである。私たちはふつう、他人の句との類似関係には、かなり神経質になるが、「自分の句との類似関係」に対しては、どうしても寛容になってしまう。自分が以前つくったのと似た句をまたつくってしまう、ということも少なくない。「いい表現」を思いつくと、つい繰り返し使いたくなる。これらは作者自身のマンネリズムにつながり、新しい詩の創造者になることはできない。
清滝や浪にちりなき夏の月 芭 蕉
しら菊の目にたてて見る塵もなし 芭 蕉
この二句、類句・類想であろうか。
芭蕉は、「塵なし」という部分が気になったのである。清らかで汚れのないさまを表すのに「塵なし」は、実に新鮮な表現である。しかし、新しさを求めつづける芭蕉は、自分の発見したものであっても、同じ表現をまた別のところで使うというのは、自分で自分が許せなかったのだ。
いい表現は一度だけ、最も効果のあるところで使う。これが芭蕉のやり方なのである。
「塵なし」は、白菊に使ってこそ効果があると、芭蕉は考えたのである。この句は、元禄七年九月二十七日、大坂の園女の家で歌仙の興行があった時の発句である。白菊は、庭かその席で目にしたものであろう。清楚な菊の美しさをたたえながら、園女の人柄や心づかいをほめた大切な挨拶吟なのである。だから、後続作品である「しら菊の」を残して、先行の「清滝や」を改案したのである。俳諧は、あくまで座の文芸であることを教えられる。
芸人の世界では、同じ芸を何度やっても喝采を受ける。だが、美術や文芸の世界では、同じことを何度もやると、やれ二番煎じだ、マンネリだといちゃもんをつけられる。そこがつらいところであるが、芸術の芸術たるゆえんだとも言える。
私たちは芸術院会員を目指すのではなく、芭蕉のように、詩人の精神を生きた人になりたいものである。
外すずめ何して遊ぶ冬の雨 季 己