大伴旅人
吾妹子が 見し鞆の浦の 室の木は
常世にあれど 見し人ぞ亡き (『万葉集』巻三)
太宰帥(だざいのそち)大伴旅人が、天平二年十二月、大納言になったので帰京途上、備後(びんご)鞆の浦を過ぎて詠んだ三首中の一首である。
「室の木」は松杉科の常緑高木、杜松であろう。当時、鞆の浦には室の木の大樹があって、人目を引いたものとみえる。一首の意は、
「太宰府に赴任する時には、妻も一緒に見た、鞆の浦の室の木は、
今も少しも変わりはないが、このたび帰京しようとしてここを通る
時には、妻はもうこの世にいない」
というので、「吾妹子(わぎもこ)」と「見し人」とは同一人である。妻・吾妹子の意味に「人」を用いている。
旅人の歌は明快で、「見し人ぞ亡き」に詠嘆がこもっていて、感慨深い歌である。
照紅葉 思ひつめたる歩を重ね 季 己
――紫陽花寺として有名な本土寺の紅葉を、Mさんご夫妻のご厚意で、久しぶりに見ることが出来た。在職中は毎年のように、本土寺の紅葉を見たものだった。もちろん、有料の庭園には入らず、無料の境内からではあるが。退職してからは一度も行っていない。
本土寺の紅葉は、例年「勤労感謝の日」ごろが見頃であるのだが、今年は今日が最盛期のように思えた。Mさんご夫妻のお心遣いが何より嬉しい。
庭園には、松や杉、孟宗竹の竹林もある。それなのに、人はなぜ紅葉や黄葉しか写真に撮らないのだろう。それも、同じ樹を同じ方向から大勢で。撮れた写真は、俳句でいえば、類句・類想でボツ。
いま、腸の具合が悪く、常に便意を催すため、かなりの仏頂面をしていたので、Mさんご夫妻と同行のEさんには不快な思いをさせてしまったのでは、と案じている。
本土寺の紅葉もよかったが、Mさん宅に所狭しと飾られた絵画の中の一枚、小嶋悠司の作品が忘れられない。
饒舌の紅葉 寡黙の杉と松 季 己
吾妹子が 見し鞆の浦の 室の木は
常世にあれど 見し人ぞ亡き (『万葉集』巻三)
太宰帥(だざいのそち)大伴旅人が、天平二年十二月、大納言になったので帰京途上、備後(びんご)鞆の浦を過ぎて詠んだ三首中の一首である。
「室の木」は松杉科の常緑高木、杜松であろう。当時、鞆の浦には室の木の大樹があって、人目を引いたものとみえる。一首の意は、
「太宰府に赴任する時には、妻も一緒に見た、鞆の浦の室の木は、
今も少しも変わりはないが、このたび帰京しようとしてここを通る
時には、妻はもうこの世にいない」
というので、「吾妹子(わぎもこ)」と「見し人」とは同一人である。妻・吾妹子の意味に「人」を用いている。
旅人の歌は明快で、「見し人ぞ亡き」に詠嘆がこもっていて、感慨深い歌である。
照紅葉 思ひつめたる歩を重ね 季 己
――紫陽花寺として有名な本土寺の紅葉を、Mさんご夫妻のご厚意で、久しぶりに見ることが出来た。在職中は毎年のように、本土寺の紅葉を見たものだった。もちろん、有料の庭園には入らず、無料の境内からではあるが。退職してからは一度も行っていない。
本土寺の紅葉は、例年「勤労感謝の日」ごろが見頃であるのだが、今年は今日が最盛期のように思えた。Mさんご夫妻のお心遣いが何より嬉しい。
庭園には、松や杉、孟宗竹の竹林もある。それなのに、人はなぜ紅葉や黄葉しか写真に撮らないのだろう。それも、同じ樹を同じ方向から大勢で。撮れた写真は、俳句でいえば、類句・類想でボツ。
いま、腸の具合が悪く、常に便意を催すため、かなりの仏頂面をしていたので、Mさんご夫妻と同行のEさんには不快な思いをさせてしまったのでは、と案じている。
本土寺の紅葉もよかったが、Mさん宅に所狭しと飾られた絵画の中の一枚、小嶋悠司の作品が忘れられない。
饒舌の紅葉 寡黙の杉と松 季 己