伊勢の国長島大智院に信宿す
憂きわれをさびしがらせよ秋の寺 芭 蕉
前書から見て、明らかに大智院に対する挨拶として発想したもの。「秋の寺」では落ち着かないから、下五は「秋の鳥」と判読すべきではないかという説があったが、それでは挨拶の作意が全く生かされないことになる。
中七の「さびしがらせよ」は、「さびしがらせむ」に近いところなのであろうが、それによって更に深いさびしさに住しようというもので、挨拶の句として、相手を意識した表現をとっているのであろう。
『随行日記』によれば、芭蕉は九月六日から大智院に三泊、七日には「俳有り」とあることから見て、七日の作か。
「大智院」は、曾良の伯父が住職であった寺。山中温泉で芭蕉に別れ先発した曾良は、八月十五日大智院に至り、以後、九月一日まで同院に身を寄せていたと推定されている。
「信宿」は再宿、二晩泊まりの意。
「秋」の句、雑。「秋の寺」という季語の用い方は、十分熟したものとはいえないし、「さびしがらせよ」と即(つ)きすぎる嫌いがある。
「奥羽、北陸の長途の旅を終えて、自分はいま曾良ゆかりの大智院に身を
寄せているが、折からの深秋の気配に、この寺もひっそりと静まりかえっ
ている。自分も、この秋の寺の深い静けさの中にひたりきり、世を憂しと
観ずる心を、更に透徹したさびしさとして深めたいと思う」
吾が逝けば癌よお前も冬日向 季 己
憂きわれをさびしがらせよ秋の寺 芭 蕉
前書から見て、明らかに大智院に対する挨拶として発想したもの。「秋の寺」では落ち着かないから、下五は「秋の鳥」と判読すべきではないかという説があったが、それでは挨拶の作意が全く生かされないことになる。
中七の「さびしがらせよ」は、「さびしがらせむ」に近いところなのであろうが、それによって更に深いさびしさに住しようというもので、挨拶の句として、相手を意識した表現をとっているのであろう。
『随行日記』によれば、芭蕉は九月六日から大智院に三泊、七日には「俳有り」とあることから見て、七日の作か。
「大智院」は、曾良の伯父が住職であった寺。山中温泉で芭蕉に別れ先発した曾良は、八月十五日大智院に至り、以後、九月一日まで同院に身を寄せていたと推定されている。
「信宿」は再宿、二晩泊まりの意。
「秋」の句、雑。「秋の寺」という季語の用い方は、十分熟したものとはいえないし、「さびしがらせよ」と即(つ)きすぎる嫌いがある。
「奥羽、北陸の長途の旅を終えて、自分はいま曾良ゆかりの大智院に身を
寄せているが、折からの深秋の気配に、この寺もひっそりと静まりかえっ
ている。自分も、この秋の寺の深い静けさの中にひたりきり、世を憂しと
観ずる心を、更に透徹したさびしさとして深めたいと思う」
吾が逝けば癌よお前も冬日向 季 己