壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

『去来抄』11 君が春

2011年11月24日 23時38分26秒 | Weblog
        君が春蚊屋はもよぎに極りぬ     越 人

 先師が私に語られるには、
 「句というものは、落ちつきがなければ真の発句とは言えない。越人の句は、もはや落ちついたと思っていたが、この句を見ると、また重みが出てきた。
 この句は、蚊屋はもよぎに極りぬ、というだけで十分なのだ。上五に、月影や・朝朗(あさぼらけ)などと置いて、蚊屋を詠んだ発句とするがよい。それをさらに、萌黄色の変わらないことを、君が代の変わらないことに結びつけて歳旦の句としたので、心が重く、句もさらりときれいにならなかったのだ。
 去来よ、お前の句もすでに落ちつきを得ている点ではわしは安心しているが、その句境にいつまでも安住してしまってはいけないよ」
と、いうことであった。


      回文の談志が死んだ日向ぼこ     季 己