笠 女 郎
陸奥の 真野の草原 遠けども
面影にして 見ゆとふものを (『万葉集』巻三)
笠女郎(かさのいらつめ)が、大伴家持(おおとものやかもち)に贈った三首の一つである。
「真野」は、磐城相馬郡真野村あたりの原野であろう、といわれている。
一首の意は、
「陸奥の真野の草原(かやはら)はあんなに遠くとも、面影に
見えてくるというではありませぬか、それにあなたはちっと
もお見えになりませぬ」
というのだが、一説には、「陸奥の真野の草原」までは「遠く」に続く序詞で、
「こうしてあなたに遠く離れておりましても、あなたが眼前に
浮かんでまいります。私の心持ちがお分かりになるでしょう」
と強めたのだという。
「見ゆとふものを」は、「見えるというものを」で、人が一般に言うような言い方をして確かめている。
女郎(いらつめ)がまだ若い家持にうったえる気持で甘えているところがある。万葉末期の細みを帯びた調子だが、そういう中にあっての佳作であろうか。
甲斐駒を望み大根の天日干し 季 己
陸奥の 真野の草原 遠けども
面影にして 見ゆとふものを (『万葉集』巻三)
笠女郎(かさのいらつめ)が、大伴家持(おおとものやかもち)に贈った三首の一つである。
「真野」は、磐城相馬郡真野村あたりの原野であろう、といわれている。
一首の意は、
「陸奥の真野の草原(かやはら)はあんなに遠くとも、面影に
見えてくるというではありませぬか、それにあなたはちっと
もお見えになりませぬ」
というのだが、一説には、「陸奥の真野の草原」までは「遠く」に続く序詞で、
「こうしてあなたに遠く離れておりましても、あなたが眼前に
浮かんでまいります。私の心持ちがお分かりになるでしょう」
と強めたのだという。
「見ゆとふものを」は、「見えるというものを」で、人が一般に言うような言い方をして確かめている。
女郎(いらつめ)がまだ若い家持にうったえる気持で甘えているところがある。万葉末期の細みを帯びた調子だが、そういう中にあっての佳作であろうか。
甲斐駒を望み大根の天日干し 季 己