菜の花
山吹の露菜の花のかこち顔なるや 芭 蕉
和歌的な用語「かこち顔」を用い、漢詩文的口調をはたらかせて、山吹・菜の花の情趣をよみとろうとしたものであるが、その美しさの本質に迫りえず、単なる比較に終わって、理に落ちた句になっている。出典の『東日記』よりみて延宝九年(1681)以前の作。
「かこち顔」は歎き顔とか、不平顔の意。
「菜の花」が春の季語。「山吹」も春。
「山吹に露がしっとり置いたさまは、まことに古来、詩歌に詠まれてきたとおり
風情がある。しかし、同じく黄色の花でも、菜の花はひなびていて、朝露を帯
びても誰にもかえりみられない。それで菜の花は、歎き顔なのであろうよ」
母と子のしりとりあそび花菜風 季 己
山吹の露菜の花のかこち顔なるや 芭 蕉
和歌的な用語「かこち顔」を用い、漢詩文的口調をはたらかせて、山吹・菜の花の情趣をよみとろうとしたものであるが、その美しさの本質に迫りえず、単なる比較に終わって、理に落ちた句になっている。出典の『東日記』よりみて延宝九年(1681)以前の作。
「かこち顔」は歎き顔とか、不平顔の意。
「菜の花」が春の季語。「山吹」も春。
「山吹に露がしっとり置いたさまは、まことに古来、詩歌に詠まれてきたとおり
風情がある。しかし、同じく黄色の花でも、菜の花はひなびていて、朝露を帯
びても誰にもかえりみられない。それで菜の花は、歎き顔なのであろうよ」
母と子のしりとりあそび花菜風 季 己