野中の日影
蝶の飛ぶばかり野中の日影かな 芭 蕉
『笈日記』によれば題詠だが、春の日の光の満ちわたった、野の明るさのよく生きた作といえよう。野中は、ただ日の光がいっぱいで、そこを過ぎるのは蝶だけなのである。
「ばかり」は、「のみ」・「だけ」の意。
「日影」は、日の光をいう。
季語は「蝶」で春。
「ときたま無心に蝶の飛び交うばかりで、広い野原は、ただ春の光がみちあふれ、
目をさえぎるもの一つない」
初蝶や石灯籠の障子窓 季 己
蝶の飛ぶばかり野中の日影かな 芭 蕉
『笈日記』によれば題詠だが、春の日の光の満ちわたった、野の明るさのよく生きた作といえよう。野中は、ただ日の光がいっぱいで、そこを過ぎるのは蝶だけなのである。
「ばかり」は、「のみ」・「だけ」の意。
「日影」は、日の光をいう。
季語は「蝶」で春。
「ときたま無心に蝶の飛び交うばかりで、広い野原は、ただ春の光がみちあふれ、
目をさえぎるもの一つない」
初蝶や石灯籠の障子窓 季 己