壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (61)歌道仏道一如

2011年04月03日 22時38分00秒 | Weblog
 『ささめごと』は、初めに問いがあり、それについて心敬が答える、という形をとっています。
 ところが、この段には問いの部分がありません。が、想像はつきます。

 「わたしの周囲の連中は、わたしの句を理解することができず、わたしの作品を趣向の凝らしすぎ、ひねくれているなどと言って、あたかも、道にはずれたように非難します。このようなことを、どう思われますか」と、いったところでしょうか。

 この段では、いくら先人の書・注解を学んだところで、自己の心地修行がすすまなくては、至極の境地に至りがたいことを説いています。
 つまり、真の歌人は、常に努力と修業を怠らず、並の歌人の理解を超越した新しい芸術的創造に立ち向かっている。それは、禅定修行の道と何ら異なることはない、と言っているのです。

 連歌も詩の心を最も大切にします。先天的に詩心を持っている人は、その独創的な詩情によって、句風が非常に魅力的です。
 先天的に詩心に恵まれていない私のような者は、並外れた努力と、心の修行をするしかないのです。時にしたがい変化する、花や草木のたたずまいを凝視して、感興をわかし、感動して、自ずと詩的表現となって現れるよう、努力するしかないのです。
 自然と我とが一体となったとき、はじめて名句が授かるのです。
 もはや、その句の“良さ”は、言葉で表現することは不可能です。至極の境地の作品は、言葉の表現を超越したところにあるからです。

 「自分の歌は悪かろう。そのつど、ほかの人の歌の風体に似せまいとして詠むので」という正徹の言葉には、どうにも新しい境地を開拓できなくなってしまっていた伝統文化の運命を、自分の宿命と感じている人間の、悲痛な叫びを聞く思いがします。
 こうして、正徹の定家への傾倒と相まって、結局、難解な失敗作を生み出す結果となってしまったのです。
 しかし、連歌そのものが、もともと新しく溌剌としていなければならないものである以上、独創性は常に求められていたのです。けれども、連歌は共同製作を建前とするので、他人に了解できる、ということも必須の条件であったのです。
 では、どちらに重きを置けばいいのでしょう。前者の正徹の言に同感の意を示しているので、心敬にはやはり独創性への欲望が強く、その点では、難解な作品をも意としなかったのです。

 心敬はまた、源経信の言や、住吉大明神から、歌道でもって往生を遂げるだろうと、託宣を受けた俊成の逸話を引いています。これは、風雅の道も仏道も、究極のところ同一である、ことを力説するためなのです。

 また、「だから、篇・序・題・曲・流の五つは、…」以下は、仏道修行によってでしか満たされないはずの痛切な欲求を、風雅の道を通して満たそうとする、ひたむきな探求の結果が、歌道仏道同一論となり、そこに深い意味を見出した、ということを心敬は言いたかったのだと思います。


      風に馴れ日になれ飛んで雀の子     季 己