喰ふて寝て牛にならばや桃の花 蕪 村
「喰ふて」は、「喰うて」が正しい表記。
牛は馬と違って、よく身を横にしてしきりと反芻をしている。それで、おさないこどもの礼儀を正すために世間では、「食事の後ですぐ寝ると、牛になってしまうぞ」と戒めていたのである。
それを引いて、身辺に桃の咲き満ちた頃の、ことに食後の身を支えているのもものういような気持を、このように詠っておもしろがったのである。
牛と桃の花との配合は、「牛を桃林の野に放つ」という故事から来ているのかも知れない。しかし、この一句は、軽い感興以外、全体の美しさは、明るい紅色の桃の花の中に、ドデンと横たわった漆黒の牛のイメージから生じていると思える。
季語は「桃の花」で春。
「物を喰ってすぐ寝っ転がると、牛になると世間ではいうが、満開の桃の花の中に、
牛が寝ているのも悪くない光景だ。いま満腹でいい気持ちになった、ひとつ牛に
なるために寝っ転がるとしようか」
松山といふに松なく桃の花 季 己
「喰ふて」は、「喰うて」が正しい表記。
牛は馬と違って、よく身を横にしてしきりと反芻をしている。それで、おさないこどもの礼儀を正すために世間では、「食事の後ですぐ寝ると、牛になってしまうぞ」と戒めていたのである。
それを引いて、身辺に桃の咲き満ちた頃の、ことに食後の身を支えているのもものういような気持を、このように詠っておもしろがったのである。
牛と桃の花との配合は、「牛を桃林の野に放つ」という故事から来ているのかも知れない。しかし、この一句は、軽い感興以外、全体の美しさは、明るい紅色の桃の花の中に、ドデンと横たわった漆黒の牛のイメージから生じていると思える。
季語は「桃の花」で春。
「物を喰ってすぐ寝っ転がると、牛になると世間ではいうが、満開の桃の花の中に、
牛が寝ているのも悪くない光景だ。いま満腹でいい気持ちになった、ひとつ牛に
なるために寝っ転がるとしようか」
松山といふに松なく桃の花 季 己