壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (66)同類①

2011年04月14日 19時42分35秒 | Weblog
        ――和歌の世界では、同類といって、他人の心血を注いだ内容主題や
         表現詞藻を剽窃(ひょうせつ)するのを、忌み慎むべきだ、といってお
         ります。連歌の世界ではどうなのでしょうか。

        ――先達が言っておる。
          連歌の世界にもいろいろと約束事がある。いろいろあるうちで、この
         ことは、慎重に処置すべきことであろう。
          片田舎の人などは、昨日詠んだ句を、一・二字変えて、今日詠んだ
         と披露するらしい。これではどちらも自分から独創した句ではない。
          だから、執心深く数寄に徹し、精根尽くして詠み出した句でも、明日
         は盗作されて、作者が変わって詠み出されるので、句は一つなのに、
         多数の作者がいるわけである。なんとも、憐れむべきことである。
          昔の人は、そんな行為をきびしく諫め禁じたものだという。

          藤原有家卿が、「末の松やまず」と詠まれたのに、数年たって後、
         飛鳥井雅経卿が、「あし引きのやまず」と詠まれたのを、当時の歌人
         たちは、とんでもないことだと非難したという。

             香にめでて花にもゆるす嵐哉
              (花に嵐は好ましくはないが、かくも芳しい香を吹き送
               ってくる嵐を、むげにとがめだてもできないことだ)
             散るを見て花に忘るる嵐哉
              (花を吹き散らす嵐は憎むべきものだが、この落花の風
               情の面白さに、思わず嵐の吹くのを忘れて、見とれて
               しまうことだ)

             花を出でて花よりもこき匂ひ哉
              (この花からくゆりでた香りなのに、この梅の花からは
               とても想像もできない香りの高さよ)
             梅の花藍よりもこき匂ひ哉
              (この梅の花のなんと芳しいこと。青は藍より出でて藍
               より青しというが、この梅の香りは、梅の花よりずっ
               と香気に富んでいる)

          この二句一連の作者らは、どちらが先に詠んだ句であるか明らか
         でなく、どうしようもない。
          どんなに玄妙な秀逸の句でも、それ以前に詠まれた内容趣向や詞
         藻を模倣したのでは、ただ原作者の句を言い継いだまでのことであ
         ろう。

            都とて積もるはまれの深雪哉
             (さすがは都のこととて、深雪の積もるのもまれなことよ)
            山とをき都はまれのみ雪かな
             (山から遠くはなれているゆえ、都に深雪の積もるのも稀
              なことよ)

          この二句は、同じころ詠まれた句であるが、互いに他人の句を剽窃
         するような作者ではないので、かえって目新しく不思議に思われる。
          このようなことを、理解し判断することは、まったく興味深いことで
         ある。 (『ささめごと』同類)


      大声で泣いてもいいよチューリップ     季 己