壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (76)無心所著③

2011年04月29日 23時26分01秒 | Weblog
    D 糸きしませ解き物する夜なべかな
 夜なべの説明です。また、三段切れで調べが悪いのも欠点です。調べが悪いのは致命的。何度も声に出して、せめて調べだけでも整えることが大切です。

        夜なべせる老妻糸を切る歯あり     爽 雨
 老妻にまだ糸を切る歯が残っていた、と具体的に表現されているので、作者の感動が直に我々に伝わるのです。
 句の中に感動があれば、説明や報告の句にはなり得ません。作者の思い、発見、驚きがないから、説明・報告になってしまうのです。

    E 一筋の新涼の道背を正す
 「背を正す」といっても、景が見えてきません。ましてや、新涼も感じられません。季語である新涼が、道の修飾語、つまり、道の説明にしか使われていないのは、季語に対してあまりにも失礼です。

        新涼や白きてのひらあしのうら     茅 舎
 「白きてのひらあしのうら」と、自分の感性でとらえた「新涼」を持ってきた点を見習いたいものです。また、景がしっかりと見え、「し」のS音が心地いい。

    F 憑きものの落ちし如くに今朝の秋
 「憑きものの落ちし」が観念で実体がなく、季語の「今朝の秋」も実体がありません。ゼロかけるゼロはゼロですから、「如く」と比喩を用いても、まったく効果はありません。

 比喩は大別すると、直喩(明喩)と隠喩(暗喩)の二つになります。
 直喩は、「ような」「ごとし」あるいは「たとえば」「似し」などの語を用いて、直接に二つの物事を比較してたとえる方法です。

        あらためてものいふやうに梅が咲き     あけ烏
        百方に借あるごとし秋の暮         友 二

 隠喩は、「ような」「ごとし」などの語を使わずに、直接それだと言ってたとえる方法です。

        はこべらは田んぼの神の髪飾     あけ烏
        紅朝顔桑名女郎のなさけかな     あけ烏

 直喩は、内容が伴わないと「また如し俳句か、もうたくさんだよ」と言われがちです。
 それに対して、隠喩は、単刀直入で感覚的です。鑑賞者に比喩を感じさせない良さがあり、一段の迫力が出ます。ただ、難解な句が出来やすいので、独善に陥らぬよう、気をつける必要があります。また、鑑賞する際には、たとえば、「はこべらは田んぼの神の髪飾(のようだ)」のように、「ようだ」などを補って解釈すればいいのです。

    G 青りんご十七歳でどうしやう
 季語の「青りんご」が安易で、作者が何を感じたのかが、さっぱり伝わってきません。おそらく「十七歳でどうしやう」のフレーズが先に出来て、あとから季語をつけたものと思われます。こういう場合は、季語をよほど吟味しないと必ず失敗します。
 掲句を、「いなびかり十七歳でどうしやう」などとすれば、少女の微妙な心理が感じられ、面白い句になると思います。


      昭和の日 来た道かへる箒売り     季 己