壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

腸(はらわた)氷る

2010年12月16日 21時23分55秒 | Weblog
          深川 冬夜の感
        櫓の声波を打つて腸氷る夜や涙     芭 蕉

 この句、『武蔵曲(むさしぶり)』所収の句形だが、本によっては、
        櫓の声や腸氷る夜ハなミだ
        艪声(ロセイ)波をうつて腸氷る夜は涙
        櫓の声にはらわた氷るよやなみだ
 などの句形がある。

 この句は、全体を漢文調で詠みあげている。「櫓の音」といわず「櫓の声」といったのは、漢詩の「櫓声」を心に置いたものであろう。また「波を打つ」「腸氷る」は、いずれも漢詩的な用語である。
 『武蔵曲』の時期、つまり、延宝八年(1680)冬、門弟の杉風の尽力により、芭蕉は深川の草庵に移った。当初、庵を泊船堂と称した。これはそれまで九年にわたる市中放浪の生活を打ち切り、一念俳諧につながらなくてはならないところに、追い込まれたことを意味した。
 『幻住庵記』(元禄三年作)にいう「ある時は仕官懸命の地をうらや」んだところがふさがれて、「仏籬祖室(ぶつりそしつ)の扉(とぼそ)に入らむ」として、鹿島根本寺の仏頂禅師に参禅したのもこのころであった。しかし、「終(つい)に無能無才にして此の一筋につながる」ほかないことを感じたのは、自己の運命を見据えた詩人としての決意に他ならなかった。
 こうしたところから、芭蕉の新しい歩みが始まってゆくのである。そしてそれは漢詩の本質的な摂取となり、これを伝統の血脈として自己の中に発見し、新生せしめるという方向をとったのである。

 「冬夜の感」は、漢詩の題にならったものであろう。
 「櫓の声波を打つて」は、櫓のぎいぎいときしる音が波の上に響くさま。「櫓」は「艪」に通用し、舟の推進具。
 「腸氷る」は、腸も氷るような寒々とした思いがする、の意。

 「氷る」が季語で冬。

    「この深川の草庵は水辺に近いので、寒夜、きしる櫓の音が
     波音のまにまに枕に近く聞こえてくる。じっと耳を澄まして
     いると、腸も氷るような凄涼な思いがしてきて、いつしか
     涙が流れているのであった」


      みちのくのかの川いまは凍靄か     季 己


   

雪の朝

2010年12月15日 22時56分52秒 | Weblog
        雪の旦母屋のけぶりのめでたさよ     蕪 村

 「旦」は、「朝、明け方」の意で、ここでは「あさ」と読みたい。
 「母屋」は、「もや」と読み、ここでは「おもや」つまり、分家に対する本家の意。

 単なる傍観者の気持を詠ったのではない。
        冬籠母屋へ十歩の縁伝ひ     蕪 村
 の句のように、母屋の傍らにある分家か、母屋に連なった出部屋にでも住んでいる人の気持になってみて詠んでいるのである。
 雪のために、屋根まで母屋と一団になってしまったような部屋から、両親あるいは戸主の住まいを、仰ぎ見たときの親しさの気持である。
 同族一つに心を合わせて、激しい自然と闘っている、雪深い北国の農村などを想像してみると、この句の実感が鮮やかになる。

 季語は「雪」で冬。

    「昨日からの雪は、今朝、きれいに晴れあがった。分家から眺めると、
     本家の建物は、雪をいただいて青空にくっきりと高い。破風の一隅
     からは、いま炊煙が、まっすぐに静かに立ち上っている。そのあり
     さまが、いかにもうるわしく、たのもしい感じがする」


      ひとり身のふたま明るき年忘れ     季 己

臘月(しわす)

2010年12月14日 22時29分57秒 | Weblog
        なかなかに心をかしき臘月かな     芭 蕉

 この句は、弟子の曲翠宛の書簡に見える。文面は、
        一樽賢慮に懸けられ、寒風を凌ぎ、辱く存じ奉り候。
        明日より御番の由、御苦労察し奉り候。
          なかなかに心をかしき臘月かな
        御非番の間御尋ね芳慮を得可く候。折節対客早筆に
        及び候。頓首 洒堂も御手紙見申し候。
 とあり、文面から見て、元禄五年(1692)十二月のもの。

 誰もが俗事に心を煩わせる臘月(ろうげつ)。その中にかえって風雅の本情を見出してゆこうとするところは、このころの芭蕉としては、あまりに常套的に過ぎるようである。
 酒一樽を贈られたことに対する謝意と、勤番の労苦へのいたわりとをこめた挨拶の作である。書簡中での即興で、多分に曲翠に対する、くだけた語りかけの気持が含まれていたものに違いない。どこか『徒然草』風の匂いが漂う発想だ。

 「なかなか」は、「かえって」の意。
 「臘月」は陰暦十二月をいい、ここでは「しわす」と読みたい。「師走(しわす)」も陰暦十二月の異称であるが、今でも十二月になると、盛んにこの語を使う。この二字の漢字が、押し詰まったあわただしさを伝えるからであろう。極月春待月ともいう。

 季語は「臘月」で冬。「臘月」の、俗にあわただしいさまをとらえて、その逆を導き出す発想で、実感としてとらえられたものではなく、一般的な意味として使われている。

    「師走は、いろいろと世俗のことであわただしいが、心のありようでは、
     かえって、どこか年の暮れゆくあわれも感じられることだ」


      パンの耳さげてゆくひと社会鍋     季 己

雪白し

2010年12月13日 20時56分29秒 | Weblog
        雪白し加茂の氏人馬でうて     蕪 村      

 「雪白し」とあるだけであるが、おのずから初雪の朝であることがわかる。
 雪そのものから受ける興奮と、雪の京の讃美の気持とが、この句の発想の原因となっている。
 この句もまた、調子の上で、
  ゆき()・しろし()・かもの()/うじびと()・うまで()・うて(
 という、お得意の形式をとっている。この形式は蕪村においては、整ったリズムを打ち出す際の一種の鋳型の観がある。 

 「氏人」は、氏子ではなく神社に所属する人、宮人(みやびと)というに等しい。加茂神社の氏人は馬上を許され、また、その正装は古式によったものであった。
 「馬でうて」は、むち打って馬を走らせる、の意。

 季語は「雪」で冬。

    「都大路は一面、真っ白な雪で覆われた。加茂の宮人よ、奥ゆかしい
     古風なあの装束をして、加茂川沿いに町の上から下へと、馬を駈け
     させてはくれないだろうか。当世風な姿をした人などに、むざむざ
     この雪を踏み荒らされたくはないので……」


      寒林に入る未来をさがしつつ     季 己   

白炭

2010年12月12日 22時28分16秒 | Weblog
        白炭や彼の浦島が老いの箱     桃 青(芭蕉)

 当時流行の、見立ての手法の句である。この句は、『発句合』の句で、北村季吟の判詞には、
        「うらしまの子が箱をあけて、一時に白頭となりし事を白炭に
         なぞらへしにや、聊(いささか)いひかなへぬに似たる所あ
         れば……」
 とある。白炭を見立てによって詠むことが、当時流行していた。しかし、この句では、白炭と浦島の白髪のはかなさが、どこか気分的に匂いはじめている。延宝五年(1677)ごろの作。この頃から、松尾桃青は、神田上水関係の仕事に携わっている。

 「白炭(しろずみ)」は、石竃(いしがま)で焼き上げた炭を消粉で消し、白色に仕上げたもの。また藁で巻きしめて焼いてもつくる。鋳物などに用い、茶の湯で珍重される。
 「白炭」が季語で冬。

    「黒かるべき炭も、消粉に埋めて取り出すと白炭に変わる。同じように
     この白炭は、玉手箱をあけたため、黒髪がたちまち白髪となった浦島に
     比することもできよう」


      暖房の車窓のくもり雨くるか     季 己

初雪

2010年12月11日 22時37分58秒 | Weblog
          我が草の戸の初雪見むと、
          よそに有りても、空だに曇
          り侍れば、急ぎ帰ることあ
          またたびなりけるに、師走
          中の八日、はじめて雪降り
          けるよろこび
        初雪や幸ひ庵にまかりある     芭 蕉

 初雪を自分の庵で見たい、という願望がかなえられたよろこびが、「幸ひ庵にまかりある」という、はずむような語勢となっている。

 「空だに」の「だに」は、軽いものをあげて重いものを言外に知らせる語で「…でさえ」の意。
 「あまたたび」は、「何度も」の意。
 「中の八日」は十八日。
 「まかりある」は、「有る・居る」の丁寧語。

 季語は「初雪」で冬。ただの雪ではなく、初雪にあった心のはずみがよくとらえられている。初雪を見る感動そのままを出している点に注意したい。

    「自分の庵でうちくつろいで、心ゆくまで見たいものだと願っていた
     初雪が、いま降ってきた。どこかへ出かけた時でなく、折しも庵に
     こうしている時なので何と幸いなことであろう」


 ――日本学士院会館で、文化功労者・山崎敏光先生の講演を拝聴してきた。先生は、東京都台東区のご出身で、現在、荒川区に住んでおられる。
 難しいことを、よくここまで易しく……と感服しながら、話に引きこまれてしまった。
 テーマは「放射能と放射線」で、いかにも難しそうであったが、講演は「見えないものを見る」ということで、俳句の世界にも通ずる興味深いものであった。
 科学者は、「見えない世界を見たい」との一心で研究に励むのだという。「見えない世界を詠む」のが俳人ではないか、とつくづく感じた。
 講演の後、霧箱を使って、各自に放射線を見せてくださった。放射線治療は受けているが、放射線の現物を見るのは初体験。そのうれしさといったら。芭蕉の気持がよく理解できる。だが、心が高ぶりすぎて句が出来ないのには、困った、困った。

      銀屛の中かがよへる放射線     季 己

師走

2010年12月10日 22時29分56秒 | Weblog
        隠れけり師走の海のかいつぶり     芭 蕉

 「師走の海」を、歳暮の世の海とし、「隠れけり」を、掛取りなどから人が隠れることととるのは、理に堕(お)ちた解でおもしろくない。世事の繁忙をきらって、世外に逃れている身を、鳰(にお)の上に投影した、とする解もあらわにすぎる
 「師走の海」というのは、単に師走の時期の海(湖)ととるべきではなく、海にも師走を感じとっている、と解したい。そこに鳰のふるまいが、俳諧として生かされたことになる。鳰のふるまいに、おのずと自己観照の心境がにじみでてきた、というふうに理解すべきだと思う。
 「隠れけり」という唐突な発想が、なかなかよく生きている。

 「かいつぶり」は、鳰と書き、カイツブリ科の水鳥。かいつむり にほ にほどり。よく水に潜る水鳥である。近郊の沼などにいつか来ていて、きのうは三羽、きょうは五羽。ふっと消えるように水輪の中に沈んで、あらぬ方にふっと浮く。色もひどく地味で、細い声でよく啼く。
 なお、琵琶湖には「鳰の湖(うみ)」の名もある。この句は「草津」、今の滋賀県草津市で、元禄三年ごろ詠まれたものと考えられる。

 「師走」・「かいつぶり」ともに冬の季語。「かいつぶり」のふるまいに、海(湖)にも師走を感じとったのだから、「師走」が季語としてはたらく。

    「広い琵琶湖の上を見渡していると、水面の鳰が、水に潜ってふっと
     隠れてしまった。寒々とした湖面での、鳰のそのせわしげな動きが、
     いかにも師走らしい海(湖)を感じさせることだ」


      夕映えの血の池にほが首出して

化さうな

2010年12月09日 21時28分34秒 | Weblog
        化さうな傘かす寺の時雨哉     蕪 村       

 化けそうな傘が、時雨の山寺の感興を引き立てている。貸し与えられた品物の粗末さと、気味悪さをかえって軽い感興とするのは、蕪村のよくやる手法である。
 蕪村は古傘、破れ傘には常に気味悪さを感じているようである。ここの「化(ばけ)さうな」は、古来、「百鬼夜行の図」などに必ず混じっている、一本足の傘の化け物を連想したのであろう。
 しかし、この句の初案らしいものに、
        古傘の婆裟(ばさ)と月夜の時雨かな
 の句があるように、「化さうな」は、ただ軽い飄逸な感興であるに過ぎない。
 傘の俳画に、この句をもって自画自賛したものが銀閣寺に残っている。けれども、この句の内容と銀閣寺とは何らの関係がない。

 季語は「時雨」で冬。

    「寺を辞去しようとすると、さっと時雨の音。『傘をお貸ししようにも今は
     これよりほかに手元にないので』と差し出されたのは、あちこちに穴
     があき、骨も紙も波うった、途中で化けて赤い舌でも出しそうな代物。
     しかたなしにそれを広げて一歩踏み出すと、寺のこととて樹木が生い
     茂り、ひっそりとした真の闇。時雨がますます心もとない音を立てて
     降りしきる」


      風音を天にかへして滝涸るる     季 己

年取物

2010年12月08日 22時54分29秒 | Weblog
        須磨の浦の年取物や柴一把     芭 蕉

 『茶の草子』(元禄十二年刊、雪丸・桃先編)に、「海ある所にたばねたる柴を絵画(えが)きて」と前書し、「これは信濃国根羽といふ山里にあるよし、玩竹といふ人の語られければ、なにとなく懐しく、巻の上に置きぬ」と付記して所収。
 つまり、この句は、画賛の句ということ。須磨の浦を特に取り出したのは、やはり、『源氏物語』の須磨の侘び住みの心が、反映していると思う。そういう由緒ある所の、柴一把が年取物であろうかと興じたところに、俳諧があったものであろう。

 「年取物(としとりもの)」というのは、歳末に、新年を迎える用意の品(飲料・食料・燃料)を、買い整える、またその品という意。年取年の物。また節料(せつりょう)・節料物(せつりょうもの)ともいう。

 季語は「年取物」で冬。

    「須磨の浦は、新しい年を迎える用意など、とくべつに見られぬ寂しい
     眺めである。束ねたたった一把の柴が、ここには描かれてあるが、
     このささやかな柴一把が、須磨の浦の新年の用意なのかと思うと、
     しみじみ、なつかしく思われる」


      すっくと銀杏うぶすなの年用意     季 己

皆拝め

2010年12月07日 22時30分54秒 | Weblog
        皆拝め二見の注連を年の暮     芭 蕉

 実景による発想と思いたいが、あるいは画を見ての作だったかもしれない。
 この句は、元禄元年十二月の作と推定されている。翌、元禄二年春の作に、「二見の図を拝み侍りて」と前書した「疑ふな潮(うしお)の花も浦の春」という句があり、参考にしたい。

 「二見の注連(しめ)」は、伊勢の二見浦の海上にある、夫婦岩に張り渡した注連縄のこと。ここから昇る初日を拝むのが、古来の慣(なら)わしであった。注連縄七五三縄とも書く。

 季語は「年の暮」で冬。「注連」は春であるが、ここは「年の暮」がはたらく。(下五に置いた季語は、強くはたらく)

    「まだ年の暮であるが、もう二見浦の夫婦岩には、真新しい注連縄が、
     張り渡されて、昇る日を待つばかりの神々しさだ。さあさあ皆さん、
     つつしんで拝みましょう」


      大仏展 燈籠寒気放ちをり     季 己

かえりみる

2010年12月06日 22時30分51秒 | Weblog
        月雪とのさばりけらし年の暮     芭 蕉

 後に「月花の愚に……」という句があるが、芭蕉には、こういう風雅をかえりみる姿が激しく見られる。こういう心は、常に、風雅一筋の心の裏側にひそんでいたものなのであろう。

 「月雪と」は、「月よ雪よと」の意。四季の風物に興ずることを指す。
 「のさばりけらし」の「のさばる」は、勝手気ままにふるまう意。世俗の人が生活に苦しんでいる中で、風雅三昧に過ごしてきた自分を、自らながめる心でこう言ったもの。「けらし」は、過去の助動詞ケリの連体形ケルに、推量の助動詞ラシのついた「けるらし」の約。「けり」の意を婉曲に述べ、詠嘆の意をこめる。「…たのだなあ。…たことよ」
 つまり、自らかえりみて、「ほんとうによく勝手気ままにふるまってきたことよ」の心で使っている。

 季語は「年の暮」で冬。

    「年の暮になって、過ぎ去った一年を振り返ってみると、世の人が、
     生活の営みにあくせくしているのに、この自分は、月よ雪よなどと
     いって風雅に興じ、ずいぶん勝手気ままにふるまってきたことだ」


      身ほとりに見れど飽かぬ絵 年暮るる     季 己

自然を見据える

2010年12月05日 21時34分56秒 | Weblog
          九年の春秋、市中に住み侘びて、
          居を深川のほとりに移す。「長安
          は古来名利の地、空手にして金な
          きものは行路難し」と云ひけむ人
          のかしこく覚え侍るは、この身の
          とぼしき故にや。
        柴の戸に茶を木の葉掻くあらしかな     桃 青(芭蕉)
 
 深川芭蕉庵に移住した折の作。
 「茶を木の葉掻く」あたりには、今までの作風の痕跡を残してはいるが、それを越えて人に迫る力をもっている。自然の見据え方が真摯さを帯び、自然そのものの深奥に穿(うが)ち入ろうとしている。談林のむなしい笑いがかげをひそめ、漢詩の情趣も内面化したところで摂取されている。
 この句の詞書(ことばがき)は、きわめて重くはたらいていて、句と交響する趣が感じられ、この「あらし」に吹き立てられる、芭蕉の身の置き方が、生きてくるように思われる。
 延宝八年(1680)の作。前書中の「九年」は、寛文十二年(1672)の出府からの九年間で、延宝八年になる。

 「長安は……」は、白楽天の「張山人ノ嵩陽ニ帰ルヲ送ル」の中の、「長安ハ古来名利ノ地、空手金(こがね)無クバ行路難シ」という詩句。長安は昔から、名誉と利欲中心の土地柄で、無一物で金をもたない人は、生活が困難である、の意。
 「かしこく覚え侍る」は、よくぞ言ったものと感心されるの意。
 「柴の戸」は、細い枝でつくった粗末な門戸。転じて、むさくるしい家。芭蕉庵をさす。
 「木の葉掻(か)く」は、落ち散った木の葉を掻き集めること。

 季語は「木の葉(掻く)」で冬。

    「柴の戸に冬の激しい風が吹きつけ、落ちたまった茶の古葉が、
     しきりに舞い立っている。この嵐は、茶を煮る料として茶の古葉
     を掻きたて、掃きたてて、柴の戸に吹き寄せている感じだ」


 ――昨日、穴のあくほど観てきたのだが、気になることがあり、また銀座「画廊宮坂」へ駆けつけた。『○○・△△ 二人展』の最終日である。
 いま、「画廊宮坂」で話題になっている一つが、〈落選した絵〉のことである。〈落選した絵〉というのは、○○さんが院展に出品し、落選した「雨のプラットホーム」のこと。雨や水を描き出してからの彼女の作品は、目を見張るものがある。たしかに、〈落選した絵〉は、落選するはずがないほど上出来の作品である。では、なぜ落選したのか。大方の意見は、審査員に見る目がなかった、ということのようだが……。
 そこで、なぜ落選したのか、その理由を素人なりに考えたかったのだ、勉強のために。
 二日間、凝視して感じたのは、「雨のプラットホーム」というタイトル。素人には一見、「プラットホーム」には見えないのだ。
 俳句の場合、たとえば、朴落葉を詠んだ素晴らしい句だと思っても、前書に柿落葉などとあったら、変人は、まずとらない。
 これと同じ理由で、変人が審査員だったなら、やはり落選にせざるを得ない。もしタイトルが、「雨の……」であったなら、入選はおろか、奨励賞にするであろう。雨の感じを、独自の感性で捉えた秀作であるだけに、惜しまれてならない。
 俳句は事実の報告・説明ではないのと同様に、絵も、ゆりかもめの駅を描いたからといって、プラットホームまで言うことはないのだ。○○さんは「雨」を描きたかったのだろうから、「雨の……」とでもすれば、プラットホームに見えようが見えまいが、関係はないのである。タイトルを「プラットホーム」とした以上、それが「高速道路」などに見えたら、やはり失敗作であろう。
 タイトルも心してつけたいものである。

      神馬の目うごかず枯葉五千枚     季 己

年くれず

2010年12月04日 21時44分41秒 | Weblog
          笠着てわらぢはきながら
        芭蕉去つてそのゝちいまだ年くれず     蕪 村

 この句は、この前書だけでは十分に鑑賞できない。この句とほぼ同じ頃に書かれた思われるものに、次の短文がある。『蕪村全集』(穎原退蔵編著)により、これの全体を引いて、前書同様に扱ってかかる必要がある。

                   歳末弁
         名利の街にはしり貪欲の海におほれて、かきりある身をくるしむ。
        わきてくれゆくとしの夜のありさまなとは、いふへくもあらすとうたてき
        に、人の門たゝきありきて、ことことしくのゝしり、あしをそらにしてのゝ
        しりものゆくなと、あさましきわさなれ。さとておろかなる身は、いかに
        して塵区をのかれん。としくれぬ笠着てわらしはきなから、片隅によりて
        此句を沈吟し侍れは、心もすみわたりてかゝる身にしあらはといと尊く、
        我ための摩訶止観ともいふへし。蕉翁去て蕉翁なし、とし又去や又来るや。
              芭蕉去てそのゝちいまた年くれす

         (世間の人々はいたずらに、名利と貪欲の中に、日々を過ごして
        いる。ことに歳末の夜のありさまは、いうまでもなくわずらわしく厄介
        である。人の門をたたき歩いて、声高に騒ぎ、落ち着くところのない
        身で人様を非難するなど、あきれはてた行いである。
         そういうわたし自身も凡夫の悲しさ、この世俗のさまから完全に逃
        れることが出来ない。ただ、ひそかに芭蕉翁の
              笠着て草鞋はきながら
        の句を、部屋の片隅でしみじみと声に出してみると、心もすみわたり、
        我が身もこういう名利を離れた心境になり得たならばと、敬い尊ばず
        にはいられない。この句こそ、わたしを教化するものである。芭蕉翁
        の死とともに、このような心境は、俳諧の世界から消え去った。世俗
        の生活の一年が、空しく去り、空しく来る、そのことだけに何の意味
        があろうか。)

 芭蕉のごとく、風雅の「真(まこと)」として、年の暮を体験し味読してこそ、初めて意義と価値とが生ずる。風雅の世界においてこそ、行く年を見送ることが出来、真に「年が暮れた」と言い得るのである。
 もちろん、芭蕉に心から傾倒し、謙虚にこれを景仰(けいこう)していながらも、「そのゝちいまだ」と、百年間の俳人を一挙に抹殺し去った語気のうちには、かなりに濃厚な自分自身を頼みとする気持がひそんでいる。
 「せめて我、芭蕉の衣鉢を受け継がずんば、誰かよくそを為し得んや」の感慨がある。
 この句は確かに、そういった蕪村の両様の実感があふれている。しかし、作品のできばえは、遺憾ながら決して上出来とは言い難い。詩としての潤いが、この句には希薄であって、あらわな「感想」の乾燥さをいかんともしがたい。
 「いまだ年くれず」も、句集の前書だけによるのでは、ついに難解のそしりを免れ得ないであろう。

 季語は「年くれず」つまり「歳暮」で冬。

    「一生を旅と観じ、名利・物欲を離れ、――笠着てわらぢはきながら――
     の句に示されたように、御身みずから旅中にあって、年の暮れゆくさび
     しさを静かにしみじみと味わい尽くした芭蕉翁、翁がこの世を去るとと
     もに、真の風雅の道は、跡を絶ってしまった。それ以来、今日に至るま
     で、あれほどの清澄の心境をもって、暮れゆく年を見送り得た人は、俳
     諧の世界にいまだ一人も現れてはこないのである」


      土壇場に子を思ふ母も石蕗の花     季 己             

鉢叩(はちたたき)

2010年12月03日 20時36分34秒 | Weblog
        夜泣する小家も過ぎぬ鉢たゝき     蕪 村

 「小家過(すぎ)ぬ」の「」は、そういう場所も過ぎたが、市中のあらゆる町々は、だいたいにおいて、ひっそりと寝静まっていた事実を表している。
 「小家」は、蕪村の常用語であるが、この場合は対象に当てはまっている。
        細道になり行く声や寒念仏     蕪 村
 の句があるように、狭い町を通るときに、道に面した小家のすぐ内側で、幼児がしきりと泣いていたのである。蕪村には、
        子を寝させて出で行く闇や鉢たゝき
 の句もある。これは「子を思う闇」の気持が掛けてある。
 この「夜泣する」には、そういった気持はこめられていないが、和讃などを誦して、浅はかで軽はずみなうちにも、因果めいた鉢叩のおもむきが、闇の中に一軒、幼児の泣きしきっている小家の姿と、相通じるものがある。
 詠まれている対象に関して、作者の占める位置が判然としないが、それは、想像によって情景を作り出す蕪村の句風としては、しばしば必然的に伴う不備ではないかと思う。

 「鉢たゝき」は、十一月十三日の空也忌より大晦日(おおみそか)までの四十八日間、空也堂の僧が、京都市の内外を巡り歩いて、瓢簞あるいは鉦(かね)を打ち鳴らしながら、念仏和讃を唱えること。米銭の喜捨があると、瓢簞で受け、瓢形の菓子を与える。

 季語は「鉢たゝき」で冬。

    「鉢叩が寒夜、寝静まった市中をさまよってゆく。あるところでは、
     一軒の小家で折から幼児が目をさまして、しきりと泣き声を立てて
     いた。その傍らを通り抜けて、鉢叩は当てもなく町から町をさまよ
     ってゆく」


      黄落や御祓箱が腰おろし     季 己

塩にしても

2010年12月02日 22時45分48秒 | Weblog
        塩にしてもいざことつてん都鳥     桃 青(芭蕉)

 『伊勢物語』の、
        名にしおはば いざこととはむ 都鳥
          わが思ふ人は ありやなしやと
 を踏まえた作。
 「塩にしても」と、ひきおろし、「こととはむ」(尋ねる意)を「ことつてん」(言づての意)にもじった、古典の卑俗化という談林的手法によった発想である。延宝六年(1678)冬の作。

 「塩にしても」は、塩漬けにしてでもの意。
 「都鳥」はカモメの一種。正式名は百合鷗(ゆりかもめ)。俗称「都鳥」は、いわば雅名。「名にしおはば」の歌で有名な隅田川はもちろん、湾や川で多く見られる。翼は淡灰色で他は白。嘴(くちばし)と脚が赤く、冬渡ってくる。鷗よりやや小さく、海猫に似た声で「ミャオ」と啼く。四月ごろ北国に帰る、優艶な旅鳥である。

 「都鳥」が季語で冬であるが、季感がはたらかず、「都」という名称が発想の契機をなしている。

    「江戸から京へのみやげ話としては、名の縁もあることだから、
     業平ゆかりの、この隅田川の都鳥を塩漬けにしてでも、ぜひ
     持ち帰り、伝えてもらいたいものだ」


      都鳥 一銭蒸気の世を知るや     季 己