壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

老の暮

2010年12月24日 23時15分47秒 | Weblog
          乞うて喰らひ、貰うて喰らひ、
          やをら飢(かつ)ゑも死なず、
          年の暮れければ
        めでたき人の数にも入らん老の暮     芭 蕉

 自分を省みている姿の句である。
 「乞うて喰らひ、貰うて喰らひ」というのは、自嘲に似ているが、その響きが全くない。その境地を踏まえて、それをきびしく見つめているからであろう。
 この句の初案は、下五が「年の暮」であったようである。

 「暮」は歳暮の意で、「年の暮」に同じで冬。

     「人に乞うて喰らい、貰うて喰らいして、ようやく飢えをのがれて、
      やっとの思いで、この一年も年の暮に達するに至った。この老人も、
      まあこれで人並みに、めでたく年を迎える人の仲間に入ることが
      出来るようだ」


 ――また4週目で抗ガン剤治療を受けることが出来た、前回に引き続き。
 好中球が、基準の1500を大幅に上回り、今日は2540もあった。ちなみに前回は1940であった。身体の回復が、それだけ早くなったということだ。
 また、CT検査の結果も良好で、転移した肺も副腎も完全に抗ガン剤で制御され、このまま、この治療が続行される。ということは、今の生活を維持することができる、ということだ。
 これも、拙ブログを応援して下さる皆様のおかげと、深く、感謝と御礼とを申し上げます。
 好中球と同じように、ブログの閲覧者数が多いと、やはり生きる喜びとなり、毎日書き続ける励みにもなる。常日頃、「変人」と粋がっているが、閲覧者数を気にするところは、まるで「凡人」と、反省はするのだが……

      励まされともす病者の聖夜の灯     季 己