壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

師走

2010年12月10日 22時29分56秒 | Weblog
        隠れけり師走の海のかいつぶり     芭 蕉

 「師走の海」を、歳暮の世の海とし、「隠れけり」を、掛取りなどから人が隠れることととるのは、理に堕(お)ちた解でおもしろくない。世事の繁忙をきらって、世外に逃れている身を、鳰(にお)の上に投影した、とする解もあらわにすぎる
 「師走の海」というのは、単に師走の時期の海(湖)ととるべきではなく、海にも師走を感じとっている、と解したい。そこに鳰のふるまいが、俳諧として生かされたことになる。鳰のふるまいに、おのずと自己観照の心境がにじみでてきた、というふうに理解すべきだと思う。
 「隠れけり」という唐突な発想が、なかなかよく生きている。

 「かいつぶり」は、鳰と書き、カイツブリ科の水鳥。かいつむり にほ にほどり。よく水に潜る水鳥である。近郊の沼などにいつか来ていて、きのうは三羽、きょうは五羽。ふっと消えるように水輪の中に沈んで、あらぬ方にふっと浮く。色もひどく地味で、細い声でよく啼く。
 なお、琵琶湖には「鳰の湖(うみ)」の名もある。この句は「草津」、今の滋賀県草津市で、元禄三年ごろ詠まれたものと考えられる。

 「師走」・「かいつぶり」ともに冬の季語。「かいつぶり」のふるまいに、海(湖)にも師走を感じとったのだから、「師走」が季語としてはたらく。

    「広い琵琶湖の上を見渡していると、水面の鳰が、水に潜ってふっと
     隠れてしまった。寒々とした湖面での、鳰のそのせわしげな動きが、
     いかにも師走らしい海(湖)を感じさせることだ」


      夕映えの血の池にほが首出して