しばし隠れける人に申し遣はす
先づ祝え梅を心の冬籠り 芭 蕉
祈りもしくは励ましの心が基調となっている発想である。
この一句は、門弟の杜国あるいはその主従に贈られたものと考えられている。貞享四年十一月、杜国を訪問した際のものと思われる。
「先づ祝え」は、自らまず鼓舞激励せよ、の心で言ったもの。「祝ふ」は、将来の福を請い求め祈る、の意である。
「梅を心の」は、『古今集』の
難波津に 咲くやこの花 冬籠り
今を春べと 咲くやこの花
を踏んだもので、百花にさきがけて咲き出る梅の心を、己が心としての意。
季語は「冬籠り」で冬。挨拶の心が露出して、句が骨組みだけに傾いている。
「今は落魄の身で、いわば冬籠りしているような身の上だが、冬に堪えて、
百花にさきがけて咲き出るあの梅の心を心として、何よりもまず自分自身の
将来を祝いなさい」
愛媛より名駒みかんや年つまる 季 己
先づ祝え梅を心の冬籠り 芭 蕉
祈りもしくは励ましの心が基調となっている発想である。
この一句は、門弟の杜国あるいはその主従に贈られたものと考えられている。貞享四年十一月、杜国を訪問した際のものと思われる。
「先づ祝え」は、自らまず鼓舞激励せよ、の心で言ったもの。「祝ふ」は、将来の福を請い求め祈る、の意である。
「梅を心の」は、『古今集』の
難波津に 咲くやこの花 冬籠り
今を春べと 咲くやこの花
を踏んだもので、百花にさきがけて咲き出る梅の心を、己が心としての意。
季語は「冬籠り」で冬。挨拶の心が露出して、句が骨組みだけに傾いている。
「今は落魄の身で、いわば冬籠りしているような身の上だが、冬に堪えて、
百花にさきがけて咲き出るあの梅の心を心として、何よりもまず自分自身の
将来を祝いなさい」
愛媛より名駒みかんや年つまる 季 己