壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

化さうな

2010年12月09日 21時28分34秒 | Weblog
        化さうな傘かす寺の時雨哉     蕪 村       

 化けそうな傘が、時雨の山寺の感興を引き立てている。貸し与えられた品物の粗末さと、気味悪さをかえって軽い感興とするのは、蕪村のよくやる手法である。
 蕪村は古傘、破れ傘には常に気味悪さを感じているようである。ここの「化(ばけ)さうな」は、古来、「百鬼夜行の図」などに必ず混じっている、一本足の傘の化け物を連想したのであろう。
 しかし、この句の初案らしいものに、
        古傘の婆裟(ばさ)と月夜の時雨かな
 の句があるように、「化さうな」は、ただ軽い飄逸な感興であるに過ぎない。
 傘の俳画に、この句をもって自画自賛したものが銀閣寺に残っている。けれども、この句の内容と銀閣寺とは何らの関係がない。

 季語は「時雨」で冬。

    「寺を辞去しようとすると、さっと時雨の音。『傘をお貸ししようにも今は
     これよりほかに手元にないので』と差し出されたのは、あちこちに穴
     があき、骨も紙も波うった、途中で化けて赤い舌でも出しそうな代物。
     しかたなしにそれを広げて一歩踏み出すと、寺のこととて樹木が生い
     茂り、ひっそりとした真の闇。時雨がますます心もとない音を立てて
     降りしきる」


      風音を天にかへして滝涸るる     季 己