化さうな傘かす寺の時雨哉 蕪 村
化けそうな傘が、時雨の山寺の感興を引き立てている。貸し与えられた品物の粗末さと、気味悪さをかえって軽い感興とするのは、蕪村のよくやる手法である。
蕪村は古傘、破れ傘には常に気味悪さを感じているようである。ここの「化(ばけ)さうな」は、古来、「百鬼夜行の図」などに必ず混じっている、一本足の傘の化け物を連想したのであろう。
しかし、この句の初案らしいものに、
古傘の婆裟(ばさ)と月夜の時雨かな
の句があるように、「化さうな」は、ただ軽い飄逸な感興であるに過ぎない。
傘の俳画に、この句をもって自画自賛したものが銀閣寺に残っている。けれども、この句の内容と銀閣寺とは何らの関係がない。
季語は「時雨」で冬。
「寺を辞去しようとすると、さっと時雨の音。『傘をお貸ししようにも今は
これよりほかに手元にないので』と差し出されたのは、あちこちに穴
があき、骨も紙も波うった、途中で化けて赤い舌でも出しそうな代物。
しかたなしにそれを広げて一歩踏み出すと、寺のこととて樹木が生い
茂り、ひっそりとした真の闇。時雨がますます心もとない音を立てて
降りしきる」
風音を天にかへして滝涸るる 季 己
化けそうな傘が、時雨の山寺の感興を引き立てている。貸し与えられた品物の粗末さと、気味悪さをかえって軽い感興とするのは、蕪村のよくやる手法である。
蕪村は古傘、破れ傘には常に気味悪さを感じているようである。ここの「化(ばけ)さうな」は、古来、「百鬼夜行の図」などに必ず混じっている、一本足の傘の化け物を連想したのであろう。
しかし、この句の初案らしいものに、
古傘の婆裟(ばさ)と月夜の時雨かな
の句があるように、「化さうな」は、ただ軽い飄逸な感興であるに過ぎない。
傘の俳画に、この句をもって自画自賛したものが銀閣寺に残っている。けれども、この句の内容と銀閣寺とは何らの関係がない。
季語は「時雨」で冬。
「寺を辞去しようとすると、さっと時雨の音。『傘をお貸ししようにも今は
これよりほかに手元にないので』と差し出されたのは、あちこちに穴
があき、骨も紙も波うった、途中で化けて赤い舌でも出しそうな代物。
しかたなしにそれを広げて一歩踏み出すと、寺のこととて樹木が生い
茂り、ひっそりとした真の闇。時雨がますます心もとない音を立てて
降りしきる」
風音を天にかへして滝涸るる 季 己