夜泣する小家も過ぎぬ鉢たゝき 蕪 村
「小家も過(すぎ)ぬ」の「も」は、そういう場所も過ぎたが、市中のあらゆる町々は、だいたいにおいて、ひっそりと寝静まっていた事実を表している。
「小家」は、蕪村の常用語であるが、この場合は対象に当てはまっている。
細道になり行く声や寒念仏 蕪 村
の句があるように、狭い町を通るときに、道に面した小家のすぐ内側で、幼児がしきりと泣いていたのである。蕪村には、
子を寝させて出で行く闇や鉢たゝき
の句もある。これは「子を思う闇」の気持が掛けてある。
この「夜泣する」には、そういった気持はこめられていないが、和讃などを誦して、浅はかで軽はずみなうちにも、因果めいた鉢叩のおもむきが、闇の中に一軒、幼児の泣きしきっている小家の姿と、相通じるものがある。
詠まれている対象に関して、作者の占める位置が判然としないが、それは、想像によって情景を作り出す蕪村の句風としては、しばしば必然的に伴う不備ではないかと思う。
「鉢たゝき」は、十一月十三日の空也忌より大晦日(おおみそか)までの四十八日間、空也堂の僧が、京都市の内外を巡り歩いて、瓢簞あるいは鉦(かね)を打ち鳴らしながら、念仏和讃を唱えること。米銭の喜捨があると、瓢簞で受け、瓢形の菓子を与える。
季語は「鉢たゝき」で冬。
「鉢叩が寒夜、寝静まった市中をさまよってゆく。あるところでは、
一軒の小家で折から幼児が目をさまして、しきりと泣き声を立てて
いた。その傍らを通り抜けて、鉢叩は当てもなく町から町をさまよ
ってゆく」
黄落や御祓箱が腰おろし 季 己
「小家も過(すぎ)ぬ」の「も」は、そういう場所も過ぎたが、市中のあらゆる町々は、だいたいにおいて、ひっそりと寝静まっていた事実を表している。
「小家」は、蕪村の常用語であるが、この場合は対象に当てはまっている。
細道になり行く声や寒念仏 蕪 村
の句があるように、狭い町を通るときに、道に面した小家のすぐ内側で、幼児がしきりと泣いていたのである。蕪村には、
子を寝させて出で行く闇や鉢たゝき
の句もある。これは「子を思う闇」の気持が掛けてある。
この「夜泣する」には、そういった気持はこめられていないが、和讃などを誦して、浅はかで軽はずみなうちにも、因果めいた鉢叩のおもむきが、闇の中に一軒、幼児の泣きしきっている小家の姿と、相通じるものがある。
詠まれている対象に関して、作者の占める位置が判然としないが、それは、想像によって情景を作り出す蕪村の句風としては、しばしば必然的に伴う不備ではないかと思う。
「鉢たゝき」は、十一月十三日の空也忌より大晦日(おおみそか)までの四十八日間、空也堂の僧が、京都市の内外を巡り歩いて、瓢簞あるいは鉦(かね)を打ち鳴らしながら、念仏和讃を唱えること。米銭の喜捨があると、瓢簞で受け、瓢形の菓子を与える。
季語は「鉢たゝき」で冬。
「鉢叩が寒夜、寝静まった市中をさまよってゆく。あるところでは、
一軒の小家で折から幼児が目をさまして、しきりと泣き声を立てて
いた。その傍らを通り抜けて、鉢叩は当てもなく町から町をさまよ
ってゆく」
黄落や御祓箱が腰おろし 季 己