壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

年くれず

2010年12月04日 21時44分41秒 | Weblog
          笠着てわらぢはきながら
        芭蕉去つてそのゝちいまだ年くれず     蕪 村

 この句は、この前書だけでは十分に鑑賞できない。この句とほぼ同じ頃に書かれた思われるものに、次の短文がある。『蕪村全集』(穎原退蔵編著)により、これの全体を引いて、前書同様に扱ってかかる必要がある。

                   歳末弁
         名利の街にはしり貪欲の海におほれて、かきりある身をくるしむ。
        わきてくれゆくとしの夜のありさまなとは、いふへくもあらすとうたてき
        に、人の門たゝきありきて、ことことしくのゝしり、あしをそらにしてのゝ
        しりものゆくなと、あさましきわさなれ。さとておろかなる身は、いかに
        して塵区をのかれん。としくれぬ笠着てわらしはきなから、片隅によりて
        此句を沈吟し侍れは、心もすみわたりてかゝる身にしあらはといと尊く、
        我ための摩訶止観ともいふへし。蕉翁去て蕉翁なし、とし又去や又来るや。
              芭蕉去てそのゝちいまた年くれす

         (世間の人々はいたずらに、名利と貪欲の中に、日々を過ごして
        いる。ことに歳末の夜のありさまは、いうまでもなくわずらわしく厄介
        である。人の門をたたき歩いて、声高に騒ぎ、落ち着くところのない
        身で人様を非難するなど、あきれはてた行いである。
         そういうわたし自身も凡夫の悲しさ、この世俗のさまから完全に逃
        れることが出来ない。ただ、ひそかに芭蕉翁の
              笠着て草鞋はきながら
        の句を、部屋の片隅でしみじみと声に出してみると、心もすみわたり、
        我が身もこういう名利を離れた心境になり得たならばと、敬い尊ばず
        にはいられない。この句こそ、わたしを教化するものである。芭蕉翁
        の死とともに、このような心境は、俳諧の世界から消え去った。世俗
        の生活の一年が、空しく去り、空しく来る、そのことだけに何の意味
        があろうか。)

 芭蕉のごとく、風雅の「真(まこと)」として、年の暮を体験し味読してこそ、初めて意義と価値とが生ずる。風雅の世界においてこそ、行く年を見送ることが出来、真に「年が暮れた」と言い得るのである。
 もちろん、芭蕉に心から傾倒し、謙虚にこれを景仰(けいこう)していながらも、「そのゝちいまだ」と、百年間の俳人を一挙に抹殺し去った語気のうちには、かなりに濃厚な自分自身を頼みとする気持がひそんでいる。
 「せめて我、芭蕉の衣鉢を受け継がずんば、誰かよくそを為し得んや」の感慨がある。
 この句は確かに、そういった蕪村の両様の実感があふれている。しかし、作品のできばえは、遺憾ながら決して上出来とは言い難い。詩としての潤いが、この句には希薄であって、あらわな「感想」の乾燥さをいかんともしがたい。
 「いまだ年くれず」も、句集の前書だけによるのでは、ついに難解のそしりを免れ得ないであろう。

 季語は「年くれず」つまり「歳暮」で冬。

    「一生を旅と観じ、名利・物欲を離れ、――笠着てわらぢはきながら――
     の句に示されたように、御身みずから旅中にあって、年の暮れゆくさび
     しさを静かにしみじみと味わい尽くした芭蕉翁、翁がこの世を去るとと
     もに、真の風雅の道は、跡を絶ってしまった。それ以来、今日に至るま
     で、あれほどの清澄の心境をもって、暮れゆく年を見送り得た人は、俳
     諧の世界にいまだ一人も現れてはこないのである」


      土壇場に子を思ふ母も石蕗の花     季 己