笠着てわらぢはきながら
芭蕉去つてそのゝちいまだ年くれず 蕪 村
この句は、この前書だけでは十分に鑑賞できない。この句とほぼ同じ頃に書かれた思われるものに、次の短文がある。『蕪村全集』(穎原退蔵編著)により、これの全体を引いて、前書同様に扱ってかかる必要がある。
歳末弁
名利の街にはしり貪欲の海におほれて、かきりある身をくるしむ。
わきてくれゆくとしの夜のありさまなとは、いふへくもあらすとうたてき
に、人の門たゝきありきて、ことことしくのゝしり、あしをそらにしてのゝ
しりものゆくなと、あさましきわさなれ。さとておろかなる身は、いかに
して塵区をのかれん。としくれぬ笠着てわらしはきなから、片隅によりて
此句を沈吟し侍れは、心もすみわたりてかゝる身にしあらはといと尊く、
我ための摩訶止観ともいふへし。蕉翁去て蕉翁なし、とし又去や又来るや。
芭蕉去てそのゝちいまた年くれす
(世間の人々はいたずらに、名利と貪欲の中に、日々を過ごして
いる。ことに歳末の夜のありさまは、いうまでもなくわずらわしく厄介
である。人の門をたたき歩いて、声高に騒ぎ、落ち着くところのない
身で人様を非難するなど、あきれはてた行いである。
そういうわたし自身も凡夫の悲しさ、この世俗のさまから完全に逃
れることが出来ない。ただ、ひそかに芭蕉翁の
笠着て草鞋はきながら
の句を、部屋の片隅でしみじみと声に出してみると、心もすみわたり、
我が身もこういう名利を離れた心境になり得たならばと、敬い尊ばず
にはいられない。この句こそ、わたしを教化するものである。芭蕉翁
の死とともに、このような心境は、俳諧の世界から消え去った。世俗
の生活の一年が、空しく去り、空しく来る、そのことだけに何の意味
があろうか。)
芭蕉のごとく、風雅の「真(まこと)」として、年の暮を体験し味読してこそ、初めて意義と価値とが生ずる。風雅の世界においてこそ、行く年を見送ることが出来、真に「年が暮れた」と言い得るのである。
もちろん、芭蕉に心から傾倒し、謙虚にこれを景仰(けいこう)していながらも、「そのゝちいまだ」と、百年間の俳人を一挙に抹殺し去った語気のうちには、かなりに濃厚な自分自身を頼みとする気持がひそんでいる。
「せめて我、芭蕉の衣鉢を受け継がずんば、誰かよくそを為し得んや」の感慨がある。
この句は確かに、そういった蕪村の両様の実感があふれている。しかし、作品のできばえは、遺憾ながら決して上出来とは言い難い。詩としての潤いが、この句には希薄であって、あらわな「感想」の乾燥さをいかんともしがたい。
「いまだ年くれず」も、句集の前書だけによるのでは、ついに難解のそしりを免れ得ないであろう。
季語は「年くれず」つまり「歳暮」で冬。
「一生を旅と観じ、名利・物欲を離れ、――笠着てわらぢはきながら――
の句に示されたように、御身みずから旅中にあって、年の暮れゆくさび
しさを静かにしみじみと味わい尽くした芭蕉翁、翁がこの世を去るとと
もに、真の風雅の道は、跡を絶ってしまった。それ以来、今日に至るま
で、あれほどの清澄の心境をもって、暮れゆく年を見送り得た人は、俳
諧の世界にいまだ一人も現れてはこないのである」
土壇場に子を思ふ母も石蕗の花 季 己
芭蕉去つてそのゝちいまだ年くれず 蕪 村
この句は、この前書だけでは十分に鑑賞できない。この句とほぼ同じ頃に書かれた思われるものに、次の短文がある。『蕪村全集』(穎原退蔵編著)により、これの全体を引いて、前書同様に扱ってかかる必要がある。
歳末弁
名利の街にはしり貪欲の海におほれて、かきりある身をくるしむ。
わきてくれゆくとしの夜のありさまなとは、いふへくもあらすとうたてき
に、人の門たゝきありきて、ことことしくのゝしり、あしをそらにしてのゝ
しりものゆくなと、あさましきわさなれ。さとておろかなる身は、いかに
して塵区をのかれん。としくれぬ笠着てわらしはきなから、片隅によりて
此句を沈吟し侍れは、心もすみわたりてかゝる身にしあらはといと尊く、
我ための摩訶止観ともいふへし。蕉翁去て蕉翁なし、とし又去や又来るや。
芭蕉去てそのゝちいまた年くれす
(世間の人々はいたずらに、名利と貪欲の中に、日々を過ごして
いる。ことに歳末の夜のありさまは、いうまでもなくわずらわしく厄介
である。人の門をたたき歩いて、声高に騒ぎ、落ち着くところのない
身で人様を非難するなど、あきれはてた行いである。
そういうわたし自身も凡夫の悲しさ、この世俗のさまから完全に逃
れることが出来ない。ただ、ひそかに芭蕉翁の
笠着て草鞋はきながら
の句を、部屋の片隅でしみじみと声に出してみると、心もすみわたり、
我が身もこういう名利を離れた心境になり得たならばと、敬い尊ばず
にはいられない。この句こそ、わたしを教化するものである。芭蕉翁
の死とともに、このような心境は、俳諧の世界から消え去った。世俗
の生活の一年が、空しく去り、空しく来る、そのことだけに何の意味
があろうか。)
芭蕉のごとく、風雅の「真(まこと)」として、年の暮を体験し味読してこそ、初めて意義と価値とが生ずる。風雅の世界においてこそ、行く年を見送ることが出来、真に「年が暮れた」と言い得るのである。
もちろん、芭蕉に心から傾倒し、謙虚にこれを景仰(けいこう)していながらも、「そのゝちいまだ」と、百年間の俳人を一挙に抹殺し去った語気のうちには、かなりに濃厚な自分自身を頼みとする気持がひそんでいる。
「せめて我、芭蕉の衣鉢を受け継がずんば、誰かよくそを為し得んや」の感慨がある。
この句は確かに、そういった蕪村の両様の実感があふれている。しかし、作品のできばえは、遺憾ながら決して上出来とは言い難い。詩としての潤いが、この句には希薄であって、あらわな「感想」の乾燥さをいかんともしがたい。
「いまだ年くれず」も、句集の前書だけによるのでは、ついに難解のそしりを免れ得ないであろう。
季語は「年くれず」つまり「歳暮」で冬。
「一生を旅と観じ、名利・物欲を離れ、――笠着てわらぢはきながら――
の句に示されたように、御身みずから旅中にあって、年の暮れゆくさび
しさを静かにしみじみと味わい尽くした芭蕉翁、翁がこの世を去るとと
もに、真の風雅の道は、跡を絶ってしまった。それ以来、今日に至るま
で、あれほどの清澄の心境をもって、暮れゆく年を見送り得た人は、俳
諧の世界にいまだ一人も現れてはこないのである」
土壇場に子を思ふ母も石蕗の花 季 己