壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

子路が寝覚

2010年12月23日 20時12分28秒 | Weblog
        月白き師走は子路が寝覚かな     芭 蕉

 師走の一夜、月を仰いで、その寒冷な中に澄んでぴんと張ったところのある月にうたれ、しぜんと、孔子の門弟中、最も潔くして、一点も功利の邪気なき、子路の心に思い至ったものであろう。
 『奥の細道』旅中の
        義仲の寝覚の山か月かなし
 という句も、人名を生かそうとしたもので、比べてみるとなかなかおもしろい。

 「子路」は、孔子の弟子、孔門十哲のひとり。門下中、最も潔白実直な人として知られている。
 「子路が寝覚」は、その子路の寝覚めの、冴えた最もひきしまった心のようだ、というのである。ただでさえ寝覚めというものは、利害愛欲の念が去って、本情のままに冴えるときである。

 季語は「師走」で冬。「月」は、季語としてははたらいていない。

    「世はあわただしい師走の夜である。空には、おごそかな月が、
     しろじろと冴えわたっていて、一点の汚れもまじえていない。
     まるで、あの清廉潔白・撲直な子路の寝覚めぎわの、ひきし
     まり、澄みきった心を見るような感がある」


      深爪を切りて師走の雨あがる     季 己